おいでませ江戸の町 〜肝試し・前編〜

Writer:斎藤晃
Illust:天神うめまる


 ■Opening■

 時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇−江戸。
 彼らの行く先はわからない。彼らの目的もわからない。彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
 けれど彼らはその狭い艇内に謎の江戸世界を凝縮して、時間を越え、空間をも越え放浪していた。
 その先々の住人たちを、何の脈絡もなく時空艇−江戸に引きずりこみながら。

 夏の夜の暑く湿った空気が曇より横たわっている。
 月明かりも殆ど届かぬ鬱蒼とした竹林の向こうに、静かに佇む一軒のからくり屋敷があった。その前に何やら幟のようなものが見える。
 篝火にかろうじて浮かび上がる文字。
 そこには、こう書かれてあった。


 『 大 肝 試 し 大 会 』





 ■Ready Go!■

 ミーン、ミーン、ミーン……。
 セミが鳴いていた。



 ◇玄武門前◇

 ゼクス・エーレンベルクは正座でエビフライにフォークを伸ばした体勢のまま、暫くそこに固まっていた。気のせいかと目を閉じる。一瞬自分の目が悪くなったのかと思ったのだ。気のせいならいいのだが、現実は元よりたとえこれが夢であったとしても彼にとっては許しがたい悪夢である。
 彼はゆっくりと目を開けた。
 やっぱり、ない。
 最早ここがどこか、とか、自分は何故赤穂浪士風味のダンダラ羽織を着ているのか、とか、腰に二本の刀を佩いているのか、とか、あれとかこれとか、そんな瑣末は問題ではなかった。
「のぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜!!」
 彼は大絶叫した。
 当たり前だ。大好物の海老がなくなってしまったのだから。それも家ごと。いや正確にはそれは、彼の方が一人その家から消えた、或いは、どこかにテレポートした、というべきなのかもしれないが、彼からすればエビの方が突然消えたのである。
 これはわざわざ付言すべき事でもないが、家がなくなっている事よりもエビフライの方が彼には重要なのであった。――閑話休題。
 とにもかくにもゼクスはエビを捜すように立ち上がると、辺りを見回した。
 空色の髪に空色の瞳。殆ど感情をその白皙の面にのせる事はないが、エビに関した時と怒っている時はその限りではないらしい。赤貧生活が長かった為か食べ物と金には目がなく、座右の銘は『焼いて食えぬものなどない』。彼の胃袋はブラックホールにして鋼鉄。多少の消費期限切れなどでは動じない、快便快食をモットーとした男であった。
 その、誰よりにもエビをこよなく愛する男が、これから口に運ぼうとしたその瞬間、他人の命より大事なエビを逃してしまったのだ。これは由々しき問題である。彼自身のみに於いて。
 しかし、どこにもエビが落ちている様子はなかった。
 代わりに、鬱蒼とした竹林に着流しの男が立っている。ゼクスに負けず劣らずの麗人は、色素の薄い茶色の目を呆気にとられたように向けていた。
 とはいえ残念ながら着物や和服を見た事のなかったゼクスには、その出で立ちが大層怪しげに見えた。勿論、やっぱりこれはわざわざ言い添えるほどの事でもないが、彼自身は自分の羽織袴姿に全く気付いていない。
「貴様が俺のエビを取ったのか」
 ゼクスは冷たい声で着流しの男に尋ねた。
 時に、生物兵器であるモンスターさえも凍りつかせ、或いは、裸足で逃げ出させるほどの冷たい視線をその男に注ぎながら。
 だが、それに男がたじろぐより一瞬早くゼクスは後頭部を強打されて前のめりに倒れていた。
「えぇい、こっちを向かんか!!」
「な……なにをする!?」
 何者かに後頭部をはたかれ顔面を地面に突っ込んだゼクスはその泥だらけの顔をあげて自分の頭をはたいた何者かを睨み据えた。
 やっぱり見慣れぬ服を着た、それは皺くちゃの小さなばばぁである。
 先ほどから自己主張の限りを尽くしていたが一向に気付いてもらえなかった彼女は般若もかくやという形相でゼクスを睨み返していたのだった。
「で〜た〜な〜妖怪!」
「だ〜まらっしゃい!」
 再び彼の後頭部をばばぁ、こと梅が手にしていたキセルで打ち据えた。
 ゼクスの後頭部にぷっくりとたんこぶが浮かび上がる。
「…………」
 あまりの痛さにゼクスが声もあげられず、両手でたんこぶを押さえながら悶絶しているのを横目に、梅は優雅にキセルを咥えるとそこに腰を下ろした。大きな門柱に背を預けて一服している。
 梅とゼクスの攻防を殆ど呆然と見つめていた着流しの男――仁枝冬也が遠慮がちに尋ねた。
「それで、ここはどこなんですか?」
 それに梅は目だけで彼を見上げて言った。
「ここは江戸じゃ」
「江戸?」
「Edo?」
 二人は一斉に梅を見返した。



 ◇白虎門前◇

「ここは?」
 黒く長い髪を後ろに束ねた女が、その赤い瞳を辺りにうつろわせ誰にとはなしに呟いた。先ほどまで人ごみの中にいた筈が、眩しい光に包まれたかと思うと辺りは一転して竹林の中だったのだ。しかも、いつ着替えたのか着物なんて格好をしている。夢か幻か、とにもかくにも現実感がない。転んで頭でもぶつけたのだろうか。つねった頬が痛かった。
「さぁ?」
 傍らにいた和服姿の女の子がそれに首を傾げた。黒い髪に大きな黒の瞳、女物の着物でなかったら少年と見間違えそうな少女だった。勿論、自分の連れ、などではない。ただ女の子も困惑げに辺りを見回していたから、恐らくは自分と同じ境遇なのだろう。
 顔を見合わせる。
「私は藤堂愛梨」
 愛梨がそう言って握手を求めるように手を伸ばすと、女の子が笑顔でその手を握って応えた。
「私はマリアート・サカ。皆リマって呼んでる」
「愛梨でいいわ」
「それでここはどこなのかしら?」
 怪訝に愛梨が首を傾げた時だった。
「ここは江戸の町だよ」
 小さな、やっぱり着物姿の女の子が二人を見上げて言った。いつの間に現れたのやら。
「江戸?」



 ◇朱雀門前◇

 姫抗は正座で茶碗を片手におかずに箸をのばしたままの体勢で、暫く呆然とそこに固まっていた。つまむ筈だったおかずのエビフライは箸にも引っかかっていない。エビフライはおろか茶卓も、それだけではない、部屋ごと何もかもが消えていたのだ。
 こうなるとどうやら自分が移動してきたらしいと考えるべきだが。
「えぇっと……」
 顔をあげる。屋外のようだが見覚えのない場所だ。鬱陶しそうな竹林が広がっている。一体ここはどこなのか。
「うちの10円消えてしもぉたわぁ」
 どこか間延びしたようなのんびりとした声に視線をそちらへ移すと、そこに一人の女が屈んで何かを掴むように手を伸ばした格好で佇んでいた。
 白い菖蒲の服を着ている。だが残念ながら抗は着物や和服を知らなかったので少々呆気にとられた。前合わせのこういう服は昔、教科書か何かで見た事がある。確か古代中国にこういった形の服があったはずだ。それにしても……。
 ふと、彼女がこちらを振り返った。
 妖艶な美女だ。年上だろう、ほんのり紫がかった黒い豊かな髪にかんざしがよく似合う綺麗なお姉さんである。その藍色の瞳が抗をしっかり捉えていた。
 目が合ったのに彼がぽつりと言った。
「あんた……は?」
 何とも失礼な問いかけである。しかし彼女はそれで気を悪くした風もなく、それどころかぱぁっと顔を明るくして艶やかな笑顔で答えた。
「うちは遊び人の妓音ちゃんゆいますぅ〜。あんじょう、宜しゅうしたってなぁ」
 腰まである袖を振って女は彼の元へ軽い足取りで近寄ると、膝に手を置いて抗の顔を覗き込んだ。
 それを今一つ状況が把握出来ない顔付きで、彼は半ば呆気に取られて見返している。
「……変な服……だな」
 先ほどから失敬な奴であった。
 妓音が抗の肩を小突く。
「いややわぁ、いけず言わはってぇ。あんたはんも、そないなかっこしたはるやん」
 言われて初めて抗は自分の出で立ちに気が付いた。いつもの長袍ではない。青くもない。彼女と同じ前合わせに帯を締めた服だが、もっと動き易い感じだ。
「あれ? 何だこりゃぁ?」
 いつの間に着替えたのか。しかし着替えたような記憶はない。突然エビフライが光ったかと思うと、こんなところにこんなかっこでいたのだ。
「ねずみ小僧はんみたいやわぁ」
 妓音が言った。
「ねずみ小僧?」
「義賊。天下の大泥棒はんなんえぇ」
「ほほぉ〜。天下の大泥棒、悪くないねぇ。だったら俺はねずみ小僧の抗ちゃんだ」
 抗が胸を張って満足げな笑顔で言った。どうやら『妓音ちゃん』に対抗したらしい。それまでの狐につままれたような顔から一転して根拠のない自信に満ち溢れている。彼の環境適応能力はずば抜けていた。明らかに見知らぬ世界のようだが、実はこういうのは初めてではない。昔、似たような経験をしているのだ。時代を超えて見知らぬ世界に飛んできてしまった事があった。だからこの程度の事で動じる彼ではない。予想外の事態にあたふたするくらいなら、予想外の事態を楽しむ男であった。
 立ち上がった抗に、妓音が楽しそうに腕を絡ませる。
「ここは初めてなんぇ?」
「あぁ」
 妓音のそれを別段振り払うでもなく、かといってテレるわけでもなく抗が答えた。見た目はまだ少年のそれを残しているのに、どこか手馴れた感じだ。綺麗なお姉さんには慣れているのか、はたまた何も考えていないだけなのか。
「うちもよぅは知らんねんけど……あ!」
 妓音が、竹林の向こうにある大きな家の門の前に見知った顔を見つけて手を振った。
「椛はん」
 声をかけられ楝色の小袖を着た女が怪訝に目を細めて二人を見やる。それからわずか首を傾げて言った。
「あんた、何であたしの名前、知ってんだい?」
「は?」
 妓音はきょとんと椛を見返した。
 椛というのは以前妓音が、この謎の江戸世界にある吉原の茶店で出会った天神の花魁の事である。しかし落ち着いて考えて見れば、彼女がその椛であるのはおかしいだろうか。何故なら花魁は遊里から出られない筈である。勿論、身請けされたというなら話しは別だが。
「ま、いいわ。案内するよ」
 椛が踵を返した。
 歩き出す椛の後に付いていきながら、妓音は不思議そうにその背に尋ねかけてみる。
「椛はん、京のお人とちゃうかったん?」
「何言ってんだい。あたしゃ生まれも育ちも江戸だよ」
 気風のいい姐さん然として椛が答えるのに妓音は首を傾げた。やはり彼女は、あの椛とは違うのだろうか。
「……相変わらずけったいなとこやなぁ」
「……えぇっと、俺、全然付いていけてないんだけど……」



 ◇青龍門の前◇

 その小柄な体をふわふわもこもこの羊毛で覆った謎の生き物がそこに立っていた。
 右目には熾烈な戦いでもあったのか十字の傷を持っている。
 道祖神の前の大きな石に座っていた老人がしゃがれた声で呟いた。
「物の怪か……」
「…………」


 ◇◇◇


 かくて、玄武門、白虎門、朱雀門、青龍門――からくり屋敷のそれぞれの方角にある四つの門に役者が揃った。
 奇しくも各門にいた案内人が一斉にからくり屋敷を指差し語り出す。


「目の前に見えるからくり屋敷。あそこで開催されるのが大肝試し大会だ。四つの門からそれぞれ参加者が入っていく。化かすもよし、化かされるもよし。脅かすもよし、驚かされるもよしってね。屋敷のどこかにあるという魔鏡を見つけ出しそれぞれの門をくぐった者が勝者となる!」


「よぉしわかった!!」
 説明を聞いてゼクスは腕まくりをした。妙に気合が入っている。しかし面白そうとかそういった類ではないようだ。古典的なマンガの描写法を用いるなら今の彼の目は【¥】の形になっているところだろう。どうやら優勝者には賞金が出ると思っているらしい。勿論、誰もそんな事は言ってない。
 その傍らで気乗りしない顔の冬也が気鬱に溜息を吐いた。
「…………」


「よーし、まっかせて」
 白虎門の前では同様に目を【¥】マークに輝かせた守銭奴愛梨が気合を入れていた。
「取ってくればいいのね?」
 どこか楽しげな笑顔でリマが確認するように尋ねる。


「ふっ……そういう事なら、俺が勝ぁつ!」
 抗は握り拳を固めた。
 彼は勝負という言葉が大好きな男であった。勿論、勝負するからには勝利以外ない。
「うち、失せもの捜しぃは苦手やし、てっとぉとこか」
 妓音が楽しそうに抗と腕を組んだ。


「…………」



 開催の合図に打ち上げ花火が一つあがる。


 ――用意……。


 ドーーーーーン!!





 ■Battle start■

「よし行くぞ!」
「待てぃ!」
 勢いよく走り出したゼクスを呼び止めるように声が追いかけた。
 しかし今はそれどころではない。何を置いても優勝する気満々のゼクスはそれを無視して走り続けた。
 とはいえ急いでいる割りにゼクスの足は決して速くない。セフィロト随一の貧弱男はここでもその貧弱ぶりをフルに発揮していたのである。
「待たんかこの、小童がぁ!!」
 梅の飛び蹴りがゼクスの後頭部を襲った。
「何の用だ!?」
 普段、その面に感情をのせる事の少ない男だが、この時ばかりは怒りを露にしている。いや、エビフライ喪失の時から憤怒の形相を隠せずにいたようだが。
「その目、その髪。お主、キリシタンであろぉ」
 梅がゼクスの空色の髪と同じ色をした瞳を指差し言った。
「だったら何だ!?」
 ゼクスが声も裏がえらせんばかりに怒鳴り返す。
「これを踏んで行け」
 梅が胸から一枚の紙切れを取り出した。そこにはへのへのもへじに毛の生えたような、ある意味前衛的ともいえなくもない絵が描かれていた。何かの芸術品だろうか。絵の片隅に『ゐゑ素』と書いてある。
 しかし、和服どころか日本の歴史も全く知らないゼクスが、江戸時代の踏み絵など知ろう筈もなかった。
「うるさい! 俺は忙しいんだ」
 ゼクスはそれを振り切ってさっさとからくり屋敷に向かおうとした。
 だが梅が許してくれることはない。
「てぇーーーーぃっ」
 走っていこうとするゼクスの後頭部に、彼女のキセルが飛ぶ。
 それでゼクスは石畳の上に顔面をぶつけるように転んだ。
「うぐぅっ…うぐぅっ…うぐっ……」
 痛いのと、悔しいのと、腸が煮えくり返るのと、鼻血とで、顔をぐしゃぐしゃにしながらゼクスはその紙を親の仇のように踏み付けた。何度も何度も、紙がボロボロになるまで踏みにじる。いや、なっても。
「…………」
 冬也は言葉もなく二人の攻防を見守っていた。


 ◇◇◇


 からくり屋敷の玄関をくぐると真っ暗な廊下がまっすぐに続いているようだった。湿度の高い空気にまじる日本家屋の木の香り。人の出入りが久しいのか、埃とかび臭さが鼻腔をくすぐる。
 このからくり屋敷は廃屋なのだろうか。
 妓音と抗の二人はそれぞれに下駄も草履も脱がず三和土を上がった。暗さに段々目が慣れてくる。勿論、完全な闇というわけではない。月明かりは格子戸の向こうから注がれていた。何より人の出入りは感じられないのに、いくつもの行灯が灯っていたのである。何とも怪しげな屋敷だ。
「うち、怖いわぁ〜」
 妓音が不安げに抗の腕に巻きついた。不安そうな素振りをしてはいるが、口ほどに語る目がこれ以上ないくらい楽しげに輝いている事に、果たして彼は気づいただろうか。
「大丈夫だって」
 軽く言って抗はその廊下へ一歩踏み出す。
「ほんまにぃ?」
 妓音がその腕をしっかと掴んだまま抗の顔を見上げた。不安に目をしばたたかせて抗を見上げるその瞳は、しかし、どちらかといえば期待に胸膨らませてキラキラと輝いているように見える。
 果たしてその事に気づいているのか、いないのか、たぶん後者であろう、彼は気前よく請け負った。
「おう!」
 とはいうものの、実はホラーの類が大の苦手な彼である。ただ彼は自分の目で見た事もないようなものに動じる男ではなかっただけであった。
 廊下を進んで行くと二人は程なくして六畳ほどの小さな板張りの部屋に突き当たった。
「あれ? ここ行き止まり?」
 抗が首を傾げる。ここまで薄暗い廊下には特に扉もなく、部屋らしいものもなかったのだ。
 妓音が抗から腕をはなして部屋の中へ入った。
「いやぁん。こうゆうとこて、なんやからくりとかあるんのとちゃうん?」
 軽やかな足取りで部屋の箪笥やら長持やらを物色し始める。
「あるんのとちゃうん、とか言いながら、いろいろ触るなよ……」
 呆れたように抗が肩を竦めて部屋の中へ入った時だった。
 ――ずごっ。
「ずご?」
 その音に抗が妓音の手の先を見やる。
 妓音の手は肘まで壁に埋もれていた。
「ぎ…妓音……ちゃん?」
「なんえぇ?」
 妓音が無邪気に微笑んで首を傾げるのに抗は開いた口が塞がらない。
 ――ずずずずず……。
「ずずずずず?」
 どうやら何かのスイッチが入ってしまったらしい、からくりが動くような音に抗がその音の方へ首を動かした。
「いややわぁ、抗はん! 天井落ちてきはったぁ」
 妓音が何とも楽しげに抗の首に抱き付いた。わざとらしく「怖ぁい」とか、その耳元で囁いている。
「落ちてきはったぁって……」
 どこかやれやれといった面持ちでそれを見ていた抗だったが、足元が揺らぐ感覚にハッとした。
「とか言ってる場合か!」


 ◇◇◇


「行けー!」
 その廊下を突き進む大八車の上でゼクスはダンダラ羽織を翻し、鉢がねを頭に巻いて、陣太鼓を叩きながら大声を張り上げた。
 その形相は正にこれから吉良家へ突入する赤穂浪士さながらであったが、ダンダラ羽織の背中に刻まれた【食】の一文字が、何ともその決意と悲壮さを吹き飛ばしていた。本人の決意は別にして。
「何で、俺が……」
 着流しを尻っぱしょって、たすきがけて、大八車を引きながら冬也は暗い溜息を吐き出した。
 事の怒りは数分前に遡る。
 門から玄関まで約20mの距離を歩いてんのか走ってんのかわからないようなスピードで――本人曰く全力疾走だったらしいが――走って、ゼクスはそこで全体力を使い果たしてしまったのだ。
 もう一歩も歩けないとか言い出したのである。その割りに優勝だーと絶叫する元気は残っているのだから侮れない。
 彼はたぶん気力だけで地を這い、門の傍にぽつんと置かれていた大八車を見つけて何事か思いついたようにのたまったのだ。
「あれだ……」
 回想終わり。
「進めー!」
 絶叫しながらゼクスは陣太鼓をこれでもかと叩いた。――ドンドコドン。
 しかし、冬也はふとそこで足を止めた。
「…………」
「何故止まるのだ?」
 ゼクスが怒ったように言ったが冬也はそれ以上全く動き出す気配がない。彼が足を止めた理由が皆目見当もつかないゼクスはまるで地団太を踏みながらがなりたてた。
「えぇい! さっさと進め!!」
 そう怒鳴ったゼクスを冬也が無表情に振り返る。
 それから、おもむろに彼はゼクスの大八車の後ろへ回った。
「ん?」
 と、首を傾げるゼクスをよそに、冬也は刹那、力一杯大八車を押したのである。
「のぉぉぉぉ〜〜〜〜〜!!!」
 ゼクスの大絶叫が廊下にこだました。
 当たり前だ。いきなり槍が壁から飛び出してきたのである。それも一本や二本じゃない。
 飛び出した槍は廊下を横切って反対側の壁に突き刺さった。まるでその廊下を通ったものを串刺しにでもするかのように。
 幸い、大八車は猛スピードで廊下を疾走したので、ゼクスをかすめはしたが、全部紙一重で当たらなかった。
 大八車はやがて正面の壁にぶつかって止まる。
 突き出した槍を避けながらゆっくり歩いてくる冬也を、これ以上ないくらい大きく開かれた瞳に映してゼクスは開いた口も塞がらないのか、大八車の上で愕然としていた。
「なるほど、こういうからくりになっていたのか」
 呑気に言った冬也にゼクスが切れる。
「貴様……」
 地の底から響いてくるような重低音で、ゼクスの呪詛のこもった声をあげる。自分を使ってなんてことしやがるんだ。しかし怒りも最骨頂に達しているのか、それ以上続けられずにワナワナと震えるばかりであった。
 冬也がふと、自分の口元に人差し指をあてる。
「しっ。何かいる」
「えぇい! 騙されんぞ!」
 ゼクスが怒鳴った。
 次の瞬間、障子戸の向こうに大きな影が写った。
 障子戸が開くのに身構える二人。
「物の怪か!?」
「貴様はっ!?」


 ◇◇◇


「はぁ、はぁ、はぁ……」
 抗は荒い息を吐き出して呆然とそれを見つめていた。
 落ちてきた天井と更に開いた床に、何とかすんでのところで抗は妓音を抱えて転がるように飛び退ったのだが。
「階段が降りてきはったぁ」
 相変わらず緊張感のかけらもない物言いで、下敷きにした抗の首に腕を巻きつかせ顔だけをそちらに向けて妓音がはんなりと言った。
 天井から降りてきた階段は開いた床を更に降りて、地下へと続く道を作っている。普通天井から降りてきたら昇る階段だろう、と内心で突っ込みながら抗は声をかけた。
「とりあえず降りてみるか?」
「そうやねぇ」
 とはいえ廊下を突き当たって行き止まりだったのだから、二人にそれ以外の選択の余地などない。
 二人は立ち上がって階段に近寄った。
 まず最初に抗が一段目に足をかけてみる。確認するように体重をのせようとしたところで、妓音が虫か何かに驚いたのか、はたまた階段に足を滑らせたのか、それとも単なるぶりっ子なのか、小さく悲鳴をあげた。
「きゃっ」
 とか可愛らしく言いながら抗の背中に抱き付いてみせる。
「なっ!?」
 突然背中から抱きつかれた抗が驚いて階段を踏みはずした。
「わぁ!?」
 二人は階段を転がるように落ちて――はいかなかった。
 抗が妓音の体を支えるようにして宙を浮いている。彼はPK能力者だったのだ。
「妓音…ちゃん……もう少し気をつけて行動してくれないか…な……?」
 どこか疲労感を隠せない顔で抗が言った。
「かんにんえぇ」
 申し訳なさそうに妓音が手を合わせる。しかし、ちっとも申し訳なさそうに見えないから不思議だ。
「…………」
 かくて二人は階段を下りた。
 そこには板張りの廊下が続いている。左手には壁。右手には障子戸。その向こうには部屋があるのだろう。
 障子戸の向こうから声が聞こえてくるのに二人は顔を見合わせた。
「話声?」
 他の門から入った者だろうか、二人は同じ事を考えてにっこり笑う。
「やるか?」
「勿論やないの」
 化かすもよし、脅かすもよし。


 ◇◇◇


「ここにも、それらしいものはないわね」
 愛梨がその部屋をあれこれ物色しながら言った。
「そうねぇ。次の部屋を探しましょう」
 そう言ってリマが障子戸まで歩いた時だった。彼女が障子戸に手を伸ばすより早く、突然パーンと小気味いい音をたてて障子戸が開いた。
 驚くように後退るリマを、愛梨が怪訝そうに振り返る。
「どうしたの?」
 愛梨がリマの元へ歩み寄った。
 廊下に白いシーツが宙を舞っている。
「な、なに?」
 呆然と立ち尽くす二人の前に、シーツがひらりと落ちた。そしてそのシーツの中から一人の女が現れた。背をこちらに向けている。
「うち、めんこい……?」
 そう言って女が振り返った。
 しかしそこに顔はない。
「キャーーーーーーーーー!!」
 悲鳴をあげて部屋の片隅に小さくなる二人に、更に女が一歩前へ出る。
 二人は息を呑んだ。と、その時。
「ぶっはっはっは」
 緊張感を削ぐような男の笑い声が聞こえてきた。
 どうやら耐え切れなくなったらしい、廊下の方から一人の男が顔を出す。
「え?」
 見知った男の顔にリマはぽかんとそれを見上げた。
「抗!?」
 ともすれば、のっぺらぼうの正体は妓音であったか。
「もぉ、抗はん、あかんやないのぉ」
 妓音はのっぺらぼうの面を取って頬をふくらませた。とはいえ、別段怒ってる風はない。
「いや、悪ぃ、悪ぃ」
 手を振って妓音に謝った抗は、それからリマと愛梨を振り返って言った。
「っつーわけで、お先に。お二人さん」
 抗と腕を組んで妓音も笑顔で手を振る。
「ほなねぇ」
「…………」
 去っていく二人にリマが拳を握った。
「くぅ〜……やられた、抗の奴。許さないわ」
 恐らく、ESPの飛行と物質操作を使われたのだろう。種と仕掛けがわかってしまえば、怖くなどない。
「リマ?」
 愛梨が声をかける。
「……お礼はさせてもらわなきゃね」
「それなら、私も手を貸すわ」


 ◇◇◇


「貴様は宿敵ばってん羊!!」
 ゼクスがそれを指差し声を荒げた。
 ゼクスと冬也の前に立ちはだかったのは二足歩行する謎の羊だった。普通のよりサイズが少々大きいだろうか。
 奴はゼクスの言葉に反応して答えるでも、意に介した風もない。見た目はふわもこの可愛い羊。しかしてその実態は人工知能で動く自律型機械兵器――シンクタンクだったのだ。
「ばってん羊?」
 冬也が呆気にとられた顔でゼクスとばってん羊を交互に見やった。
 確かに羊だ。どっから見ても羊だろう。右目に十字の傷。だからばってん羊なのか。江戸に羊。いや、突っ込むべきところはそこではない。
「ここであったが百年目……。今日こそジンギスカンにしてくれん!!」
 雄たけびと共にゼクスがばってん羊目掛けて走り出した。
「あ、バカ……」
 冬也が咄嗟に呼び止めるのも聞こえない態で、ゼクスは腰に佩いた刀の鞘を掴み、右手はしっかと柄を握っている。
 但し、勇ましく抜き放った刀に刃はない。どっからみても、土産物屋か何かに並んでいそうなちゃちい刀であった。
「…………」
 迎え撃つばってん羊がけっ、とばかりに唾を吐く。それからおもむろに前足でそれを引っ張った。
 天井から下がる謎の紐。
 次の瞬間、ゼクス達の足元の床がなくなった。
「あ……」
「なっ!?」
 反射的に冬也は飛び退ったが、ゼクスは彼ほど俊敏には動けなかった。慣性の法則にのっとり、二歩ほど宙をばってん羊に向かって進んだゼクスも、さすがに残り一畳分を越えて走り続けることは出来なかった。どなれば最早重力に従うよりほかにない。
「…………」
「のぉぉぉぉ〜〜〜〜〜!!!」
 かくして彼は大八車と共に奈落の底へ落ちたのだった。
 ばってん羊が紐から手を離すと床が閉じる。
 ゼクスの大絶叫は閉じられた床に遮断された。
 静けさがその場を包む。
 果たして奈落の底はどれほどの深さだったのだろう。
「成仏しろよ」
 冬也は口の中だけで小さく呟いた。彼の運動神経なら、たとえ底が浅くともただでは済まないような気がしたから。


 ◇◇◇


「かいらしぃお人形はんやぁ」
 廊下にぽつんと佇むおかっぱ頭の一松人形に、妓音は面白そうな予感めいたものがあったのか、今にもスキップしそうな軽い足取りで近寄ると、両手でその人形を掴み上げた。
「そぉかぁ?」
 抗が眉間に皺を寄せて気のない返事を返す。嫌な予感がした。そんな彼の眉間のあたりには、やたらに手を出すな、という文字が刻まれていたのだが、どうやら妓音には全く通じていないらしい。
「めんこいやん」
 そう言って妓音は抗の前に差し出した。
 刹那、人形の肩までしかなかったはずの髪が突然伸び始める。
「!?」
「いややわぁ」
 妓音が人形を放り出す。しかし人形は床には転がらず宙に浮いたまま、無表情筈の口元を微笑にほころばせて二人を見つめていた。
 髪が床まで伸びて、その瞳から哀しそうな一滴が落ちた時、妓音は抗に飛びついた。
「うち、かなんわぁ〜」
 ちっとも、かなんそうではない。相変わらずのぶりっ子ぶりである。
「おっと……」
 最早慣れてしまった様子の抗が、妓音に抱きつかれ軽くバランスを崩して壁に手をついた。
 だが壁は、抗の体を支えてはくれなかった。
「え?」
 まるで回転扉のように壁が二人を飲み込んでくるりと反転する。
「どう、まいった?」
 暫くして、リマと愛梨がその廊下に顔を出した時には、二人の姿はどこにもなくなっていた……。





 ■Confluence■

 奈落の底は意外と深かった。彼に於いては。
 高さ八尺。国際単位系になおして約2m余りの高さをゼクスはダイブした。彼の誰も並ぶことの出来ない運動神経の前にその高さは何倍にも膨れ上がったが、彼はその一方でまた悪運の持ち主でもあった。
 類稀なる貧弱ぶりをやっぱりフルに発揮していた彼だったが、下敷きにされる事なく見事大八車の上に落ちたのである。まぐれだ。全身の打ち身に、ぐえっ、と轢かれた蛙みたいな声をあげたがとりあえず一命を取りとめた。生きてさえいれば彼は治療PKで瀕死のような怪我でも瞬時に治せる。但し、彼が治せるのは人だけだ。
 落ちた大八車はその一部を破損し車軸を歪め、車輪を変な方向に傾かせていたが、こちらの方まではなおせない。
 傾いた大八車が何故か奈落の底に落ちていた真新しいバナナの皮に滑ってスリップする。
 ゼクスは大八車から振り落とされまいと大八車にしっかり左手だけでしがみ付いて、天井が閉じ真っ暗になった部屋に右手を掲げた。
 その掲げられた掌に薄明かりが凝縮される。そうして彼が照らしだした先にあったのは――。
「のぉぉぉぉ〜〜〜〜〜!!!」
 彼は大八車ごと勢いよく壁に突っ込んでいた。



 その一分前。
「ここはどこだ……?」
 壁をすり抜けるようにしてそのまま転がりこんだ床の上で、したたかぶつけた後頭部をさすりながら、抗は上半身だけ起こして辺りを見渡した。しかし暗さには目も慣れていた筈なのに、闇が濃すぎて何も見えない。
「いややわぁ、まっ暗やぁん」
 やっぱりちっとも怖そうに聞こえない妓音の声が彼の上から振ってきた。しっかり抗をクッション代わりにして倒れていた彼女は、そのまま彼の首に抱き付いて押し倒す。
「うち怖いわぁ〜」
「なっ!? ちょっ…どこ触ってんだ!?」
「見ぇへんから、よぉわかれへぇ〜ん」
 彼女の声はいつにも増してどこか楽しそうな声音であった。
「わっ……や、やめろ……」
 抗が彼女の下から逃れようとジタバタもがいた時である。

 どんぐらぐわっしゃぁ〜ん!!!

 もの凄い音が右手の方から聞こえてきた。何かが落ちたような音だ。
「……何の音だ?」
 暗闇を音の方を凝視する。しかし見えないものは何も見えない。
「さぁ?」
 妓音が首を傾げた時。
「のぉぉぉぉ〜〜〜〜〜!!!」
 という絶叫と共に、べきべきばきっっ、という何かがぶち破られるような音がした。
 そこにあったらしい壁が破壊され、その奥からわずか漏れる光にかろうじて見えたのは、煙のように舞い上がる壁の残骸。それが、まるで霧が晴れるようにゆっくり晴れてくると何かが姿を現した。
 壁で止まった大八車から投げ出されるようにして床に転がったのは、ダンダラ羽織に【食】の一文字を背負った男――ゼクスである。
「許さぁぁ〜〜ん!!」
 彼は立ち上がると刀の柄を握って身構えた。
 床の上に殆ど大の字になって脱力していた抗が、その姿を見上げ何やらホッとしたように呟いた。
「あ、やっぱりお前も来てたんだ……」
 一緒に夕食のエビフライを食べていたのだから、その可能性は大いに考えるべきであったか。
「その声、抗か!?」
 ゼクスが辺りを見回した。
 そこに妙な格好をした抗と、その上に馬乗りになっている、やっぱり妙な格好をした女を見つけて、何やら視線をさ迷わせる。
 邪魔をしたかも、と彼が気の効いた事を考えたかどうかは定かではないが、もし考えていたとしたら気の回しすぎというものであろう。
 とにもかくにもさ迷わせた視線に彼は部屋の奥に置かれた鏡に気付いた。
「ん!? あれは!! 魔鏡か!?」
 ゼクスが鏡に飛びつく。
 刹那、鏡が突然光を発した。
 ゼクスが持つ魔鏡らしきものの怪しい光に、押し倒されたまんまの抗も、押し倒したまんまの妓音も、そして鏡を手にしたゼクス自身も、驚いたようにそれを見つめていた。

「な……に……!?」


 ◇◇◇


 からくり屋敷――玄武門。
 月の出ていた晴れた夜空。
 風雲急を告げるように雷鳴が一つ轟いた。
「おばば様……」
 門柱に腰を据え、キセルを咥えている梅に、椛が空模様を気にしながら不安げに声をかけた。
「どうやら誰かが魔鏡を手にしたようじゃなぁ」
「あれは確か……」
「ふぉっふぉっふぉっ。これからが肝試しの本番じゃよ」
 梅は笑った。
「胆の据わった御仁たちには今までのじゃ、ちぃとばかし物足りんかったじゃろうて」
 椛は言葉もなく梅を見下ろして、それからゆっくりからくり屋敷を振り返った。
「ふぉっふぉっふぉっ」





 ■To be continued...■






【整理番号/PC名/性別/年齢/職業・クラス】

東京怪談
【5151/繰唐・妓音/女/27/人畜有害な遊び人】

サイコマスターズ・アナザーレポート
【0641/ゼクス・エーレンベルク/男/22/エスパー】
【0644/姫・抗/男/17/エスパー】


東京怪談・異界〜境界線〜
【NPC/仁枝・冬也/男/28/司法局特務執行部】
【NPC/藤堂・愛梨/女/22/司法局特務執行部オペレータ】
サイコマ・ジャンクケーブ〜禁区〜
【NPC/ばってん羊/男/???/タクトニム】
【NPC/マリアート・サカ/女/18/エスパー】
東京怪談・異界〜時空艇−江戸〜 <案内役>
【NPC/江戸屋・楓/女/9/子役】
【NPC/江戸屋・椛/女/20/若い女役】
【NPC/江戸屋・梅/女/52/老婆役】
【NPC/江戸屋・杜/男/88/長老役】


 大肝試し大会にご参加下さりありがとうございました。
 ここに前編をお届けします。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 物語を盛り上げる為、一部NPCで補完させて頂きました。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。


 暗雲立ち込めるからくり屋敷。
 果たして、この大肝試し大会の全貌とは――!?