少女と虹色蛍

Writer:silflu
Illust:大橋直人




 凶悪に蹂躙される土地。理由なく殺される人々。完膚なきまでに壊滅する国。――世界には人の想像もつかないような不幸があるということを、ジュドー・リュヴァインは身に沁みるほど、脳髄を犯されるほどに知っている。
 病気がちで滅多に外に出られない少女。通行人が話題にしているのをふと聞いた時、ジュドーは率直で正直な感想を抱いた。
(――病気とはいえ五体は満足で家族も健在なのだろう。不幸のレベルとしては中の下にも届くまい)
 よくある話だとそのまま通り過ぎるつもりだった。だが同時に耳にしたモノに興味を惹かれた。
 虹色蛍。この世のものとは思えない美しさ。それが生息している泉は正しく楽園の具現だと。おまけに泉に至るまでの森には、強力な魔物が棲みついている。
 ジュドーはすぐに決心し、通行人に話しかけた。
「その少女の家、どこにあるのか教えてくれないか」

 教えられたとおりに5分も歩くと、密集した家々の合間にこぢんまりとした少女の家を発見した。裕福ではないが貧乏でもないのだろう、ごく普通の中流家庭のようだった。そんな普通の家庭の少女を、悲劇が襲ったわけである。悲劇とは常時普通の人間を狙うものだ。
 ジュドーは扉に取り付けられた呼び鈴を鳴らした。間もなく30代後半というところの婦人が顔を見せた。少女の母親だ。武士など普段は見慣れないのだろう、母親は目をしきりに瞬かせている。
「あのう……?」
「こちらのお嬢さんが虹色蛍を見たいということで、話を聞きに来た者だ」
 ジュドーは簡潔に用件を述べた。母親は一瞬驚いたような顔になって足早に中へ引き返したが、すぐに玄関に戻ってきてジュドーを中へと入れた。
 案内されたのは少女の寝室だった。調度品は質素で、中央のテーブルには花をたくさん飾った花瓶が置かれている。隅の棚には玩具、人形など、彼女の遊び相手が丁寧に納められていた。
 ベッドには寝巻き姿の少女。小さな体を起こして訪問者を見つめている。
「お姉さんが虹色蛍を探してくれるんですか?」
 蚊の鳴くような、か細い声だった。元からそうなのか、それとも病気のせいなのかはわからない。
「私はジュドー・リュヴァイン。一介の武士だ。お姉さんというのはいささか調子が狂うから、名前で読んでほしい」
「ジュドーさんが虹色蛍を探してくれるんですか?」
 少女は重ねて聞いた。ジュドーは頷いて応えた。少女はまた問う。
「虹色蛍の棲む泉に行くには、強い魔物がいる森を通らなくてはいけません。そのことはご存知なんですか? お強そうですけど……」
「私にとって、戦いは願ってもないことでね。むしろ喜んで行きたいのだ」
 常に戦いを求めるジュドーの胸の内など、少女にわかるはずもなかった。もちろん今は関係のない話なので、あえて説明はしなかった。
 母親が茶と菓子をトレイに載せてやってきた。
「娘は長い間こうですから、話し相手すら乏しい状態でした。今日訪れてくださっただけでも結構なことで……」
「いや、お気遣いなく」
 ジュドーは丁重に茶を一口だけ飲むと、先程から気にかかっていたことを尋ねた。
「しかし、なぜ蛍なのだ。万病に聞く薬草とかなら話はわかるのだが」
 少女は微笑んだ。
「ほら、病は気からってよく言うでしょう? とても美しいって評判の虹色蛍を見れば、力と勇気が……強さが湧いてくる気がして。きっと薬以上に、私の体を治してくれるんじゃないかって、そう思ったんです」
 少女はいじらしい両拳を握りしめた。
「私もずっと病気のままで、お母さんに心配をかけっぱなし。……強くなりたいんです。身も心も」
 悲しい声だった。母親は目元をハンカチで拭っている。
 ジュドーは少女に対して親近感に似た情を抱いた。否、自分と重ね合わせた。
 強くありたい、ただそれだけを強く願っている。――ならば、自分と何ひとつ変わらないではないか。
「委細承知した」
 歯切れよく言って、ジュドーは少女の小さい手を握った。
「私も、とある理由から強くなりたいと考えている。……弱い今を捨て去りたい。乗り越えたい」
「……ジュドーさん?」
「必ず虹色蛍は持って帰ろう。約束だ。約束することでお互いに強くなろう」
「……本当ですか?」
「ああ、本当だ」
 ジュドーは強く言った。
 少女は涙ぐんで、ジュドーの手を力強く握り返した。

 少女の家を出発すると、まず聞き込みを開始した。人々は虹色蛍と聞くと景気よく質問に答えてくれたので、目的地を知るのには時間がかからなかった。虹色蛍の生息する泉はここより北へ馬で3日の道程。
 近くの雑貨屋に森の地図があると教えられたので行ってみると、初老の店主は気の毒そうな顔をした。
「お前さんみたいな戦士が何人も地図を買っていったんだが、誰ひとりとして戻らんかったよ」
「ご主人は虹色蛍について何かご存知なのか」
 ジュドーは受け取った地図を眺めながら聞いた。店主は頭を掻く。
「もともと虹色蛍ってのは何十年か前、ある冒険者が偶然に発見したものだ。やがて夏のわずかな間だけ現れるっていうのが知られて、毎年今ごろになると、たいそうな人がそいつ見たさに出かけるようになった。もちろん俺もその中のひとりでね。ウチでもその森の地図が飛ぶように売れたんだ。だが20年くらい前かな。森に魔物が棲みつくようになっちまった。普通の人はもう出かけなくなった。それからはあまり話題にもならなくなったが――」
「私のような腕に覚えのある者は噂を聞きつけ、森へ行くのを止めなかったと」
「ああ、それで誰ひとり、な。年々、魔物が強力になっているのかもしれない」
 店主はため息をついた。危険を知っていながら地図を売った自分にも彼らを死なせた原因がある――そんな後ろめたさがないではなかった。
「あんた、本当に行くのかい」
「彼女との約束はたがえられん」
 途端に店主は眉根を寄せた。
「そうかい、あの病気のお嬢ちゃんと約束したってか。……もし戻らなかったら、もう地図を売るのは止めようと思うんだわ、俺」
 ジュドーは踵を返した。店を出る間際に言った。
「ならばご主人とも約束しよう。私は必ず戻る」

 ジュドーは貸し馬屋で一番性能のいい馬を借りて、北への街道を駆けに駆けた。
 逸る気を抑え、馬を潰さないように何度も休憩を挟みながら――それでも馬の体力を見極めつつ、許される限り急いだ。時折魔物が出たがいずれも小物で、即座に一撃のもと斬って捨てた。中途半端な強さの敵に邪魔をされたくなかった。
 そうして2日後、滞りなく森に到着した。1日も早いペースにジュドーは満足した。
「ご苦労さん。帰りも頼む」
 馬を降りて頭を撫でると、適当な樹木にロープで繋いでおいた。だがすぐに外した。万が一自分が森の中で倒れたら、このロープを外す者がいなくなってしまう。
「お前、ちゃんと待っていてくれるか」
 馬は高く嘶いた。待っててやる。だからしっかり帰って来い。そう言っているのだと勝手に解釈した。
 ジュドーは少し離れて、森の姿を見渡した。悠々と上下左右に緑の枝を広げ、風がひとたび吹けば葉擦れが幾重にも重なって心地よい自然の音を演出している。太陽の光は樹冠で乱反射して実に見目鮮やかだ。そのくせ奥は鬱蒼としていて暗く、今にも魔性が飛び出してきそうである。全体から得体の知れない雰囲気が滲み出ているのだった。明らかに普通の森ではないと感じた。
 ジュドーはこういった天然の森をすでに何度も見ているが、ここはその中でも一級だっだ。彼女の考える一級の地とは、不思議に満ち満ちた地である。早い話が、人知の遥か超えた場所である。それが人間としての好奇心を満たし、武士の血を昂ぶらせる。
 ジュドーは懐から地図を取り出して広げた。これによると泉は森の中心にあり、入口からは数時間の距離である。今はちょうど正午を過ぎたというところだから、陽が沈む頃には充分泉に辿り着ける計算だ。
「魔物とやらにてこずらなければ、な」
 数多の戦士を生きて帰さなかった魔物たち。おそらくただでは済むまい。そう考えながらも、ジュドーは堂々と森に足を踏み入れていった。

 湿気が限りなく100パーセント近い。そこかしこから放出される見えない蒸気が、顔にむっとまとわりつく。照度は瞬く間に薄まった。上を見上げる。まだ昼だというのに、ほとんど陽光を感じられなくなった。元来た道を振り向けばわずかに外界――もはやそう呼んで差し支えあるまい――の光が覗けるだけだ。これでもし雨でも降っていたらと思うとぞっとするものがあった。
 ジュドーは立ち止まり再び地図を手に取った。現在位置からの道のりを指でなぞる。
「しばらくは直線に進めばいいようだな」
 地図をしまって歩みを進める。全方向に抜け目なく気を配るのを怠らない。野生の魔物は人間のように名乗り出ることはしない。襲う時は不意打ち以外にありえないのだ。
 油断せず行こうと心の中で呟いたその矢先。
「――!」
 殺気が降ってきた。ジュドーは反射的に愛刀の蒼破をすっぱ抜いた。次に鈍い衝撃音が飛んだ。ジュドーの眼前に、鋭利な爪が出現している。1本1本が曲がったナイフのようで、ひどく汚れている。おそらくは拭いきれない血の跡だった。
 全身に渾身の力を込め、ジュドーは襲撃者の腕を押しのけた。
 見渡せば、魔物の群れに包囲されていた。
「これはまたずいぶんと――」
 魔物は獣型。体長はゆうにジュドーの2倍はある。体色は灰色、目は血を注いだような赤。筋肉隆々としており、体のところどころにゴツゴツとした隆起がある。その大きな爪と牙は、それぞれ凶悪に尖っている。暴力の塊のようだった。それが4体である。
「強いな」
 思わず口にした。なるほど少々腕に覚えがある程度では、到底無事に切り抜けられるとは思えなかった。
 柄を握る手に汗を感じる。また武士としての興奮も。
 ――最初から全開。ジュドーは全神経を研ぎに研ぎ、正眼の構えを取る。
「ジュドー・リュヴァイン、参る!」
 その声が合図となった。魔物は耳奥を突き刺すような雄叫びを上げた。
 まず1体が飛びかかってきた。強大な顎を開き、一気にジュドーの頭蓋を噛み砕きに迫る。
 ジュドーは俊敏なステップで横に抜けながら脇腹を切った。手首に反動がかかる。相当に硬い体に舌打ちした。
 息のつく暇もなく、残りの3匹が同時に爪を振り下ろしてきた。バックステップで間一髪かわす。ジュドーの髪が舞った。あと少しでも前にいたら、頭皮を剥がされ、目を抉られ、鼻を削がれ、頬肉を丸ごと持っていかれただろう。
 ジュドーは筋肉を弛緩させ、深呼吸しながら相手を見据える。
 この敵は肉弾戦に特化した種だった。人の肉体で防御しきることは不可能に近い。爪での切り裂きにしろ牙での噛み付きしろ、紛うことなく一撃必殺の威力を備えている。
「――ならば、こちらも一撃必殺で望まなければ勝てないか」
 集中力、精神力、気力、あらゆる力を体内で増幅し、高めていく。
 先刻脇腹を切られた魔物が、じりじりと慎重そうに間合いを詰める。傷が疼くらしく、恨めしそうに低く唸っている。
 睨みあう両者。
 魔物の右腕が上がった。
 瞬間、血しぶきが飛んだ。
 ただ純粋に、速さで勝った。ジュドーが超速の薙ぎ払いで、強靭を誇る敵の体を一刀両断にしたのだ。魔物は断末魔すら上げられなかった。
 怪物の上半身に続いて、おびただしい血流と腐臭を放つ臓腑が地面に零れ落ちていく。ジュドーの顔に返り血が降りかかった。
 残りの3体の顔に、目に見えて恐怖の色があった。殺戮しか知らないようなこの魔物にもそうした感情があるのだ。恐怖心は腕と動きを鈍らせる。ジュドーはたった一撃で優位に立った。もはや負ける気は微塵もしなかった。
「あの少女との約束――貴様らごときに邪魔されはしない」
 魔物たちは揃って突っ込んできた。目の前の武士に対する恐れを振り払おうとしてか、必要以上に咆哮している。
 ジュドーは跳躍した。助走もなしに、森特有の柔らかい地面をものともせずに魔物たちより高く飛んだ。
 落下の勢いに乗って、1体の脳天に白刃を突き立てた。数秒の間もない早業である。
 魔物が倒れないうちにジャンプする。次の1体が唸りを伴って豪腕を振るってきた。ジュドーは舞うように空中を動き、華麗な刀捌きで敵の手首を切り落とす。返す刀で頚動脈に斬撃を送った。
 着地したかしないかのうちに、最後の1体がすさまじい叫びを響かせて突進してきた。ジュドーはいったん刀を納める。力を爆発させるために。
 魔物はジュドーが消えたと錯覚した。次の瞬間には魔物の視界は暗転する。
 ジュドーは神速に近い居合い抜きで、魔物の胴体を一気に断っていた。重苦しい音を立てて魔物は地に落ちた。
「く……はあ……。倒したか」
 さすがに息が切れ、膝をついた。全身が汗を噴き出している。呼吸を整えながら心臓が早鐘を打っているのを聞く。
 頬に痛みが生じているのに気付いた。触ると、三筋の裂傷ができている。そんなこともわからないほど夢中だったらしい。どうということのないかすり傷だが、念のために毒消し草の粉末を取り出して傷に塗りつけた。
 魔物の死骸を眺める。すさまじい血の海は戦いの苛烈さを物語っていた。
 勝負は終わったのだ。だがまだ始まりにすぎない。
 刀を振って付着した血を飛ばすと、ジュドーは再び歩き始めた。刀は抜き身のまま、いつでも襲撃に対応できるようにしている。
「先は長い。――油断せずに行こう」
 寄らば斬る。明確な意思を全身より発散しながら、奥へ奥へ――。


【整理番号/PC名/性別/年齢/職業・クラス/登場ゲーム】
1149/ジュドー・リュヴァイン/女/19/武士(もののふ)/聖獣界ソーン