【子猫地蔵】〜後編〜
Writer:姫野里美
Illust:KKR
●前回までのあらすじ
猫姫町から、観光PRのために呼ばれたマリア、衛、そしてユエリー。不思議な祭を堪能するうち、いつしか夜になっていた。だが、そこで彼らを待ち受けていたのは、取り囲む猫達と、人の気配がなくなった町だった!
●追いかけられて
異変に気付いたのはマリアだった。ホテルのロビーばかりではない。レストラン、通路、そして玄関口まで、猫達が溢れかえっている。
「どこにこんな数が‥‥」
「様子がおかしい。下がってろ」
まだ年若い衛を庇うように、そう言うマリア。動きは既に、『力を有する者』のそれに変わっている。だが、衛とて、ただの小学生ではない。『気をつけて』と言いながら、既にその手には、符が握られていた。
「にゃ!」
その中の1匹が、短く鳴いた。と、その刹那、周囲にいた猫達が、いっせいに飛び掛る。
「うわっ! 襲ってきたよっ!」
「意外と素早い‥‥っ」
普段でさえ、逃げる猫を追いかけると言う行為は、割と難しい。その敏捷性を持って、爪と牙を剥くのだから、いかに戦いに慣れた2人とは言え、苦戦を強いられると言うもの。
「外へ出よう。もしかしたら、祭会場に誰かいるかもしれない」
「うん、わかった」
形勢不利と考えたマリアは、とにかく人を探そうと、ひとまず外へと向かった。
「こんな所にも猫が‥‥」
だが、表玄関にも猫はたくさんいる。普段なら、そのままうずもれてしまいたい衝動に駆られようものだが、今は恐怖感しか出てこなかった。
「あれは‥‥」
その中に、1匹。見覚えのある猫の姿。昼間、ユエリーと一緒にいた子猫だ。
「く‥‥。サーベルさえあれば‥‥」
避けながら、荷物を変えてきた事を後悔するマリア。普段持ち歩いている筈の武器は、本日遊びに来ている為、手元にはない。
「こっちだ! 衛!」
やむなく、衛の手をひいて、走り出すマリア。猫だらけのホテル内を抜け、裏の駐車場へと回る。
「ここにも猫が‥‥」
愕然とする衛。そこにも、大量の猫達がみゃーみゃーと鳴いては、人間様を警戒していた。爪を煌かせる様にしながら、飛び掛ってくる猫達に、退路を絶たれてしまう2人。
「仕方ない。多少猫達には申し訳ないが、突破するぞ!」
「OKっ」
本当は、傷つけたくはないのだが、それではこちらがタカリ殺されてしまう。そう判断したマリアは、衛の手を握ったまま、猫達を蹴り飛ばす。悲鳴を上げる猫達に、心の中で誤りつつ、町へと向かう2人。
「これはこれは‥‥。すごい数の猫ですね‥‥。どこにこれだけの数が潜んでいたのか‥‥」
一方、ユエリーはまだ部屋の中にいた。見下ろす町には、どこもかしこも猫だらけ。普段なら『賑やかですねぇ』とでも言いそうなものだが、妖したる彼の目には、その猫達の殆どが、自分と同じ属性であるのが、はっきりと映っている。
「どこにかくれれば‥‥」
そんな中を、右往左往するマリアと衛。街中へ出て見ても、猫達だらけで、既に浴衣もその下の肌も、傷だらけだ。まずは体力を回復する為、安全に休める場所を探していたのだが。
「「人‥‥?」」
マリアとユエリー、2人のセリフが、期せずしてハモる。ホテルのすぐ下にあるお土産店の並びに、店番らしき従業員。
「助かった! おいそこの!」
様子を見守るユエリーの眼下で、マリアは戦闘モードを解除しないまま、その人に声をかける。
「ちょっと待って! 何か変だよ?」
異変に気付いたのは衛。そう言うと、肩を掴もうとしたマリアをひっぱり、店員から遠ざけようとした。
「あぶなっ!」
直後、うつむいた店員が、持っていたカッターナイフを彼女に向ける。すんでの所で、避けられたものの、着ていた浴衣が、また少し裂けた。
「やっぱり‥‥」
それを見ていたユエリー、さもあらんと言った表情で、そう呟く。妖しの瞳には、その店員が猫達と同じ『色』を宿しているのが、はっきりと写っている。
「なるほど。人の形にあって、人にあらず。あの少年猫は、こうなる事を全て知っていたのかもしれませんね‥‥」
色の違う彼ら『人にあらざる者』に、そう呟くユエリー。
「どうする?」
「下手に怪我をさせるわけに行かないよ‥‥。たぶん、操られているだけだと思うし」
雰囲気こそ違え、全て祭の最中に見た事のある者ばかりだ。その瞳が、金色に変わっている所をみると、おそらく意識は無いだろう。
「逃げ回るしかないか‥‥」
衛の意見に、そう呟くマリア。
「ふむふむ。実害が出ない家に、手を打ちますか‥‥」
まだ、かすり傷程度だが、このままでは、いずれ追い詰められてしまうだろう。そう思ったユエリーは、部屋を出ると、2人のいる街中へと向かう。
「おや、囲まれてますね」
その予想通り、マリア達は、人の子と、そして猫達に、すっかり囲まれていた。
「あの子は確か‥‥」
そして、その彼らを指揮するように、遠くから見つめているあの子猫。
「意地でも、駅には近付かせて貰えないようだな‥‥」
彼が指揮する一団は、マリア達を逃すまいと、行く手を塞いでいる。
「いったん、どこかへ避難したほうが良さそうだね」
「そのようだ」
その為、2人は駅に行く事を諦め、別の安全な場所へ向かう事にした。だが、それさえも猫達は許さないのか、包囲網を狭めてくる。
「仕方ない。手を貸しますか‥‥」
そう呟くと、ユエリーは子猫に貰った鈴を鳴らしてみた。何か曰くがあるだろうと思っての行為だ。
「鈴‥‥?」
案の定、その鈴の音に、猫達は動きを止める。まるで、猫姫に止めろと言われたかのように。
「今だ! 抜けるぞ!」
「わかってるって!」
その間に、マリアは衛の手をひいて囲みを突破して行く。
「さて、と。こんなものですか」
鈴を鳴らし終えたユエリーは、そう呟くと、自身を猫の姿へと変えた。こうすれば、猫達に襲われずに済むだろうと思って。
「そう急かさなくても、すぐに会いに行って上げますよ。猫姫様」
剣呑になりつつある猫町の雰囲気に、ユエリーは歩を早めながら、そう呟くのだった。
●逃亡
数分後。
「こ、ここまでくれば大丈夫かな‥‥」
ホテルからだいぶ離れた川べりで、マリアと衛は息を整えていた。
「ああ‥‥。まさか、夏祭りに来て、巻き込まれるとは思わなかったが‥‥」
履き慣れない下駄に、足がかなり痛い。見れば、すり切れて血が滲んでいる。そこへ、やはり姿を見せる猫達。
「どこにも逃げ場はないと言う事か‥‥」
監視か、それとも追撃か。せめて武器さえあれば‥‥と、臍を噛むマリア。と、その時だった。
「マリア、こっち!」
そう言って彼女を引っ張り込む衛。
「これ、取り込めば武器になるから!」
彼が投げて寄越したのは、土産屋に良くある木刀。学校の修学旅行では、購入禁止品に指定される程のそれは、彼女達『力ある者』が持てば、立派な武器だ。
「よ、よし!」
手をかざし、『力』を開放すれば、それは吸い込まれるように手へと吸い込まれる。
「みゃ‥‥」
何も知らない化け猫の1匹が、その爪を躍らせた。と、次の刹那、マリアの手には、袖から振りだされるようにして、木刀が出現していた。
「来るなッ」
その一振りを素早く握り締めた彼女は、妖猫に向けて、切っ先を振り下ろす。
「みゃみゃっ!」
戦力の上がったマリアに、猫が何事か叫んだ。と、ほどなくして、路地のあちこちから、頭と尻尾に耳のついた人間が、次々と現れる。
「飾り?」
「いや、違う。あれは‥‥本物!?」
それは、今までの髪飾りや、偽ものとは全く違う‥‥リアルな耳と尻尾。まるで、己が猫姫の下僕である事を示すような。
「マリア、どいてっ!」
それら精鋭と思しき連中が、遠距離から何かを投げる。はっと気付いた衛くん、マリアを庇うように突き飛ばしていた。
「衛!?」
「いたた‥‥。なんだよこれ‥‥」
見れば、ぶつけられたのは、植木鉢の欠片だ。
「しっかりしろ」
「だ、大丈夫‥‥。ただのかすり傷だから‥‥っ」
衛は気丈にそう言って、首を横に振り、血の流れた傷跡へ、自ら治療符を貼り付ける。
「ならいいが‥‥。く‥‥。まともな人間は誰もいないのか‥‥っ」
囲む人間には、全てリアルな猫の耳。大きさが違うそれは、どこか猛獣のそれにも見える。最初は5〜6人だったそれも、いつの間にか数十人に膨れ上がってしまっていた。
「走れるか?」
「うん。平気」
確かめると、衛は口元に笑みを浮かべてそう答えた。大丈夫。まだいける。幼いながらも、すでに『戦うもの』の余裕を見せている彼に、マリアは頼もしさを覚える。
「うわっ。ととっ」
「マリアっ」
だが、走りだした瞬間、マリアの方がダメージを負った。見れば、鼻緒に足の甲が擦り切れ、点々と血が落ちている。おまけに、その血まみれの鼻緒は、切れてしまって役に立たない。
「しまった‥‥。これでは‥‥っ」
街中は、石畳ではあるが、路地裏は普通のアスファルトだ。裸足で歩くには、少々厳しすぎる。その間に、あちこちから、まるでネズミが集まるかのように、集ってくる猫達。
「みゃあ〜‥‥」
「みゃぁおう‥‥」
にじり寄ってくる彼らに、2人はとうとう橋の中央へと追い詰められてしまった。
「絶対絶命フラグ成立ってカンジだね‥‥」
「気軽に言っている場合じゃないと思うがな‥‥」
背中を合わせながら、そう言いあう衛とマリア。と、何を思ったか彼女は、橋の下に流れる川に視線を送る。そして、やおら衛の肩を掴むと、橋げたに足をかけた。
「衛。しっかり捕まっていろよ!」
「え?」
驚く彼に対し、いきなりそこから橋の下へと、身を躍らせる。
「飛び込むぞ!」
「言うの遅いってーーー!」
断りの一言は、空中をロープレスバンジーしている最中だ。当然、言い返した悲鳴は、夜の川へと吸い込まれてしまう。
「‥‥みゃぁお」
橋の上で、それを見つめていた猫が、引き上げるよ‥‥と言わんばかりに、姿を消したのは、その直後だった‥‥。
●祠へ
その頃、ユエリーはと言うと、子猫に案内された真の祠へと向かっていた。
「確か、このあたりでしたね‥‥」
猫の姿をしていた為か、咎められる事もなく、街中を歩く事が出来た。そして、記憶を頼りに、昼間の場所へと向かったのだが。
「あれは‥‥。さきほどの‥‥。どうやら、無事に逃げ延びたようですね‥‥」
祠の前を流れる川べりから、身を寄せ合うようにして這い上がってくるマリアと衛を見て、ほっとした様子のユエリー。
「みゃあ‥‥」
「おっと。ここは邪魔しちゃ悪いでしょうしね。お相手しましょうか」
そこにも、集まり始める猫達に、ユエリーは仕方なさそうに前へと出る。と、首に下げていた人形付の鈴が、ちりんと鳴った。
「これは‥‥」
その鈴の音を聞く度、猫の歩みが止まる。
「やはり、この鈴には、意味があったんですね‥‥」
確信するユエリー。そればかりではなく、どこか一目置いているような視線さえ向ける。その‥‥人形と共に。
「いや、どちらかと言うと人形ですか。さて、では猫姫様にお目通り願いましょうか‥‥」
自分が、『特別な存在』扱いされている事を知ったユエリーは、そう呟くと、猫達を『暴れないように』と言いつけて、祠へと向かう。
「び、びっくりするじゃないか‥‥。いきなり飛び込むなんてさ‥‥」
そんな事は露ほども知らない衛は、びしょ濡れのまま川べりにひっくり返っていた。
「あ、ああでもしなければ、猫達に引き裂かれてただろうが‥‥っ」
同じ様に息を整えているマリア。彼女と同様、浴衣をびしょ濡れにした彼は、その言葉に、「そ、そうだね‥‥っ」と答えながら、浴衣を絞っている。
「それにしてもここは‥‥」
「どうやら、猫地蔵の側みたいだよ」
土手を上がった先にあったのは、猫の祠。それも、祭会場からは、かなり離れているようだ。
「この辺りには、猫達も近寄っていないらしいな。ここなら、安全に休め‥‥」
周囲に人も猫も居ない事を確かめたマリア、そう言いかけて、衛の方に倒れこんでしまう。抱きしめた身体は、かなり冷え切ってしまっていた。
「マリアの方こそ、休んだ方が良いと思うよ」
「そうだな‥‥」
戦える人間とはいえ、そこはまだ14歳の少女。今更の様に恐怖と不安が襲ってきて、体が震えてきてしまう。
「マリア‥‥?」
その為か、彼女は極自然に、すぐ側にあった温もり‥‥即ち衛を抱き寄せていた。
(衛‥‥。暖かい‥‥。もし衛がいなかったら、一人きりの恐怖で、たぶん正気ではいられなかったな‥‥)
その温もりが、今は心地良い。と、彼女が震えている事を、肌越しに知った衛は、びしょ濡れのまま抱きついている彼女に、ぎこちなく腕を重ね、こう言ってくれた。
「無理‥‥しない方が良いと思うよ。長丁場になりそうだから」
だが、そう言う彼とて、腕が小刻みに震えている。無理をしているのかもしれないと思ったマリア、その表情を柔らかくして、衛を見下ろしながら、励ましのセリフを口に乗せた。
「大丈夫だ。隣町まで逃げる事が出来る。そうすれば、学園に助けを呼べるから、きっと助かる」
町の外に出れれば。彼女達のような『力持つ者』が通う学び舎に向かえば、この事態をどうにかしてくれる。マリアはそう信じていた。
「まずは、足をどうにかしないとね。それじゃ、走れないと思うし」
と、励まされた衛は、そう言って、彼女の足の手当てを行おうとする。
「あ、待って‥‥」
「‥‥っ?」
が、マリアはそんな事よりも、衛に離れてほしくないらしく、かがもうとした彼を、引き止めていた。
「水に濡れて寒くは無いか? なんならもっと側まで‥‥」
それでも照れくさいのか、そっぽを向きながら、言い訳めいた誘いをかける。と、その直後、ぬれた浴衣の紐がはらりと落ちて、浴衣の前が開き、立派な胸が見えてしまう。
「あ‥‥」
顔を赤らめて、慌てて隠そうとするマリア。だが、衛はその手を押し留め、はだけた胸元に、頬を押し付けてくれる。
「こうすればあったかいもの」
「衛‥‥」
彼なりに、マリアを励まそうとしているのだろう。その気遣いが少し嬉しかった。
「今更、だろ?」
「そうだな‥‥」
今は素直に、その愛情に浸ろう。そう思い、彼女はそのまま素肌に彼を抱きしめる。
「みゃおう‥‥」
「これは‥‥」
どれほど、そうしていただろうか。平和な時間はおしまいと言わんばかりに、姿を見せる‥‥見覚えのある子猫。
「あの子猫‥‥。そうか、やはりここは‥‥」
はっと身を放し、木刀を出すマリア。衛も、符を作り出している。と、子猫はまるでCGの様に、猫から少年の姿へと変化する。
「気付いたみたいだねぇ。でも、生きては返せないんだ。残念ながら、ね」
ただし、その姿は、他の金目の操られた人間達と同じ様に、半人半獣。爪はやはり猫のソレの様に、長く伸びている。
だが。
「お待ちなさい」
それを留めた猫がいた。白い‥‥大人の猫。首には、鈴と彼に良く似た人形がついている。
「お前は‥‥」
「夜は長い。祭を楽しむなら、弱い者いじめはよくありませんよ」
その子猫の知り合いらしき猫は、彼をそう言って止める。と、少年は明後日の方向を向きながら、まるで悪戯を咎められたかのように、その爪を収めた。
「‥‥ま、まぁいいや。そんな所にいると、どうせ僕がやらなくても、他の子がやるだろうしね」
そして、再び猫の姿へと変じると、祠の向こうへと姿を消す。その後を追う白い猫。
「助かった‥‥のかな?」
「いや、何か裏がある‥‥。さっきの猫‥‥。どこかで見たような覚えがあるのでな‥‥」
ほっとした表情の衛に、マリアは厳しい顔つきで、そう答えた。
「衛、あの2匹をつけてみよう。何か、分かるかもしれない」
彼女の提案に、頷く彼。2人が、猫達の後を追ったのは言うまでもない。
●心を解いて
さて、猫達はと言うと。
「どうして、止めたんだよ」
「まだそんな年で、人の味を覚えるには早すぎます。それに、まだちゃんとした挨拶もしてませんしね」
猫の姿のまま、不満そうにそう言う少年に、ユエリーがそう諭していた。まだ、心を残した彼の爪を、暁に染めたくはなかったから。
「そんなの‥‥別に‥‥」
「おせっかいだと思われるかもしれませんが、それでも立派な理由ですよ」
拗ねたようにそっぽを向く彼に、ユエリーはそう言った。
まだ、お互い名乗りあってもいない。一緒に写真も撮って、祭を楽しんで。あの時の、楽しそうな‥‥そして悲しそうな彼の横顔を、ユエリーは忘れる事が出来なかった。
見えない悲鳴を上げる人でなき者を助ける理由なんて、それで充分。
「ところで、この事は、姫様もご存知なのですか?」
だが、そんな思いも理由も、かけらも表面に出さず、ユエリーは話を変えた。と、少年猫は少しだけ素直になったようで、その事情をこう話す。
「知ってるも何も‥‥、猫姫様が言い出した事なんだ‥‥」
詳しい事情は知らないけれど、招妖資格を得て、この町にやってきた時には、すでに姫君の勅命で、祭の準備は始まっていたのだと言う。
「では、かの方に話を聞いたほうが早いですね。案内して、いただけますか?」
「‥‥わかったよ‥‥。君は敵にしたくない‥‥」
撫でてくれる手が心地よかったのだろう。少年はそう言って、昼間案内した祠の『扉』を開ける。
「その人形は、この町には入れるものの証。君は、妖しだったから。渡しておいたんだ」
猫姫の像が置かれたその社で、彼が印を結ぶと、鈴がひとりでに鳴り出した。そして、人形が同じ印を結ぶ。直後、結んだ印が光り、空中に扉が現れる。
「ここは‥‥」
その扉を明け、中へ進むと、そこには、猫姫町とそっくり同じ光景が広がっていた。
「猫姫町には、裏の顔があるんだ。表は、人間が暮らす町。裏は‥‥猫姫様が治める、妖猫達の町」
少年がそう言って、周囲を見回すよう促す。と、窓から見える人々には、全て妖しの色が見て取れた。そう‥‥庭で喋り倒す主婦から、忙しそうに郵便を届ける職員まで。すべて‥‥妖しの者。
「‥‥境界が引かれているなら、何故こんなことに?」
「数年に一度、その境界が入れ替わるんだ‥‥。それを強化するのに、人の生贄が必要なんだって‥‥」
少年は、ユエリーの問いに、『空を見てごらん』と続けた。と、その空はまるで血の様に赤く、夜の色と融合しかけている。
「血の結界ですか‥‥」
その夜の色が、表の世界の空の色だと気付いたユエリーは、少年猫にそう尋ねた。と、彼は悲しそうな顔をして、こう答えている。
「そうだって聞いてる‥‥。だから、祭で人を呼んで、生贄を選ぶんだって言ってた‥‥。そうしないと、裏の妖猫達が、暴れ出すって‥‥」
その横顔からは、本当はそんな事などやりたくはない‥‥そんな感情が見て取れる。
「あなたは、優しい子なんですね」
「うん‥‥。僕‥‥。ずっと可愛がられて育ったから‥‥。姫様が言うように、人がそんなに酷いものだなんて、信じられなくて‥‥」
少年は、人に愛されて育ったらしい。妖しになる前、死に掛けた時には、飼い主が不眠不休で看病してくれて、病気のこっちが『もう良いよ』と思うくらい、衰弱していたらしい。そんな優しい飼い主に飼われ、近所のアイドルだった少年猫は、姫が言うほど、人間が酷い種族には見えないそうだ。
「俺も、そう思いますよ」
と、ユエリーはそんな少年に共感するかのように、そう言った。はっと顔を上げる少年。
「本当に?」
「ええ。俺は‥‥人が好きですから」
確かめてくる彼に、ユエリーは頷く。確かに、人の子は妖しを忌み嫌う。だが、そうでない者もいるのだ。
「貴様、人の民に、余計な事を吹き込まぬでもらおうか」
だが、そんなユエリー達の前に、現れる猫姫。
「姫様っ。違いますっ。この方は‥‥!」
「そなたは黙っておれ!」
言い繕うとした少年猫を、彼女がぎんっと睨みつける。と、その周囲に赤い雷が落ち、彼は「わぁんっ」と悲鳴を上げて、うずくまってしまう。
「そんなに邪険にする事ないじゃないですか、姫様」
涙目に鳴った少年を庇いつつ、ユエリーがそう言うと、猫姫は不機嫌そうな表情で、彼を睨みつける。
「わらわに意見するつもりかぇ?」
「そうじゃありません。でも、理由もなくいたぶられたら、人も妖しもついてはきませんよ」
よっぽど怖かったのだろう。耳を押さえたまま丸まっている少年猫。そんな彼を指し示して、ユエリーはそう言う。
「何が言いたいのじゃ」
と、真摯なユエリーの態度に、姫君は、掲げた手のひらを戻し、問いかけてくる。
「‥‥せめて、聞かせてもらえませんか? あなたが、何故そこまで人を嫌うのかを。同じ‥‥妖に属する者として」
その問いに答えるように、彼はそう尋ねた。人が嫌いな理由も、その救済も、同じ種族であれば出来ると、そう信じて。
「わかった。ついてこい」
彼の様子に、猫姫はそう言って、彼を町の奥へと案内するのだった。
●姫の生い立ち
彼が案内されたのは、裏猫町の奥にある、小さな社だった。表の町では、確か既に閉鎖され、立ち入り禁止の看板と、封印された金網があったと記憶している。
そこには、猫姫に良く似た‥‥だが、もっと禍々しい像と泉、そして川があった。おそらく、街を流れる川の源だろう。
そして、碑文には歌が書いてあった。それは、街中に流れていた歌と、メロディラインこそ同じだが、もっと血なまぐさく、生贄を捧げよと歌われていた。
「生贄‥‥ですか」
その証拠に、禍々しき姫の像には、血のりめいた赤い液体がかけられている。その像に祈りを捧げていた猫姫は、ユエリーにこう語っていた。
「人の子は、我ら妖しに属する者を恐れ、さげすむ。そして、自らの代償に捧げる。我ら妖しの事など、ネズミの子程度にしか思っておらぬ‥‥」
そこは、遥か昔、生贄の祭壇だったらしく、平らな台座が、社の前に横たわっている。悲しげな姫君の視線をたどれば、既に鬼籍へと入った古の猫達の姿が、ユエリーにも見えた。それらはいずれも、刀で斬られたような傷跡がある。おそらく、この祭壇で、人々に生贄に捧げられた猫達なのだろう。
「確かに、人の子と妖しが、共に生きて行くのが難しい事は、俺も身を持って経験しています。でも、人の子はそんなに悪い人ばかりではありませんよ」
中に、彼女の同類‥‥即ち、妖に属する猫達がいた事を悟ったユエリー。それでも姫君にそう言った。あの少年猫や、自分の様に、愛されていた存在だってあるのだから。
と、猫姫が見せたのは。
「ならば‥‥これはなんとする?」
禍神の像に刻まれた、古い古い名前。そこは、まるで念入りに磨かれたかのように、赤黒く輝いている。
「これは‥‥」
その文字が、力持つ文字なのは、ユエリーにもわかった。その上、命持つ者の様に、脈動している事も。
「我が名じゃ。遥か昔、わらわがまだあの年頃だった頃、刻まれたものじゃ‥‥」
彼女が『あの頃』と指し示したのは、先ほどの少年猫。着物の袖から覗くその指先は、染められたかのように赤い血で濡れている。
「血が‥‥」
「わらわとて、本当はこのような真似はしとうない。じゃが、この祭を行わねば、この像に刻まれた邪まなる猫神が、わらわに乗り移り、わらわの町の子を、人の子の変わりに殺してしまう‥‥。そして、この名を刻んだのは、遥か古のこの町の人間なのじゃ‥‥」
驚くユエリーに、彼女はそう言って着物をめくり、腕全体を見せた。そこは、指先ばかりではなく、全体が血に染まっている。そう、禍神の像と同じ位置が。
「あなたは、自分の所の猫達を守る為に、祭を起こしたのですか‥‥」
「ああ。じゃが既に、わらわの中で、禍神との入れ替わりが起こりつつある。そなたに楽しげに言ったのは、おそらくその部分じゃろうな‥‥」
ため息をつく彼女。苦しげに歪んだ横顔が、あふれ出そうになる禍神の欲望を、必死で抑えているように、ユエリーには見えた。
まだ、手遅れじゃない。彼女は、人を好きでいたいと言う心を残している。今、動けばどうにかなる。そう思った彼は、猫姫にこう尋ねる。
「姫様。俺は、人の子も猫の子も好きです。出来るなら、誰も傷つけたくない。なんとか、刻まれたこれを消す事は出来ないんですか?」
俺が、なんとかしますから。自身を思うユエリーの姿に、姫君は心を打たれたのか、答えてくれた。
「出来ぬな。すでに、これを刻んだ者は死して久しい‥‥。今なお、呪を扱う者がいれば、話は変わるかもしれんがな‥‥」
力持つ文字を変える事の出来る術師がいれば。刻まれたこの名前を、消す事が出来るかもしれないと。そう、これを刻んだ術師の変わりに。
「分かりました。見つけてきますよ」
ようやく、心を開きかけた姫君を、見捨てるわけには行かない。そう思ったユエリーは、力強くそう言った。
「何‥‥?」
「人の世には、まだ力を持つ者も少なくありませんから」
自分が、街で出会ったマリア達の様に。いや、それ以外でも、彼が付き合う者達には、その『力を持つ者』が、決して少なくないと。
「少年、手伝ってもらえますか?」
「え、僕?」
事態を見守っていた少年猫が、ユエリーにそう頼まれて驚く。と、彼はこう続ける。
「君も知ってるでしょう? 呪を扱える2人が、この町にいる事を。姫様と人の子を、助ける為にね?」
「うんっ!」
普段は優しい姫様。そして、大好きな人の子。その2つの力となるその頼みに、少年猫は嬉しそうに答えるのだった。
●歌を消す為に
マリア達が、その閉鎖された社にたどり着いたのは、濡れた浴衣が乾いた頃だった。
「猫達、襲ってこなくなったね」
さっきまで、アレほどいた猫達が、すっかり姿を消している。妖しに操られた猫達も同様だ。
「誰かが止めてるのか‥‥。この間に、暴走を止める手段を見つけねばな‥‥」
おそらく、先ほどの猫が何かやってくれたのだろうと言う事は、マリアにも想像がつく。その間に、原因を特定しようと提案する彼女。
「あれは‥‥ユエリー‥‥?」
その、2人が社に現れると、金網で閉ざされた向こう側に、見覚えのある白い浴衣姿。
「入ってみようか」
「ああ。何か原因があるようだ」
彼が普通の人間ではない事を、うすうす感づいていたマリアは、そう言うと、助走をつけて金網によじ登る。内側から鍵がかけられていたが、力を使えば、容易に開ける事が出来た。
「ここは‥‥」
生い茂った木々に囲まれた、古い境内を抜けると、そこには朽ち果てた社と、何かを横たえるような台。
「井戸‥‥?」
「いや、どちらかと言うと泉だろうな。ん‥‥?」
厳重に金網で囲まれたのは、水の湧き出る石造りの鉢。そこから溢れた水は、社の外‥‥先ほどの川へと続いているようだ。
「あそこには、猫姫の像‥‥」
そして、社の中には、祠にあった猫の像と良く似た像。ただし、若干禍々しい。
「由来書きかな」
「いや、どっちかと言うと、歌の歌詞に見えるが」
そこには、古い文字が刻まれていた。祠にあった文字と、とてもよく似ているが、こちらの方が少しはっきりしていた。
「祭の贄たる者の名は、8番目にあるのそのものは‥‥? なんだろ、これ」
「わらべ歌のようだな‥‥」
57調でわかれたその碑文は、テンポ良く刻まれている。
「つまり、これをどうにかすれば、街の人も元に戻るってわけだね」
「そのようだ」
文字の種類が、符に使用されている者と同じだと知った衛は、マリアにそう言った。頷く彼女。と、その耳に、どこからか低い‥‥声のようなもの。
「マリア、何か聞こえない?」
「歌‥‥?」
良く耳を澄ませば、それは昼間、街を流れていた歌と同じメロディ。しかし、歌詞はずいぶんと違う。生贄になった事を嘆く、そんな歌。
「あっち、かな」
「そのようだ」
歌の発生源をたどり、マリアと衛は、社の裏へと向かう。
「みゃあ‥‥」
「猫っ!?」
縁側に座る、白い猫。思わず身構える衛を制し、マリアはこう言った。
「いや、ちょっと待て。敵意が感じられない‥‥」
先ほど集まった猫達と違い、殺気がない。それに、どこかで見たような猫だ。
『やっと再会出来ましたね。待ってたんですよ』
と、その猫は人の言葉でそう言った。そして、飴細工を練り上げるかのように、その姿を人のそれへと変じさせる。
「ユエリーさん‥‥」
にこっと笑顔を見せるその姿は、向かいの部屋に逗留していたユエリーのものだ。
「ほら、あなたもご挨拶を」
そう言った彼が、縁側の下へ声をかける。と、見覚えのある少年猫がのっそりとはい出てきて、同じ様に人の言葉でこう言った。
『さっきはごめん。あの、さ。頼みたい事があるんだ‥‥』
ぺこりと頭を下げる猫。
「声が‥‥」
顔を見合わせるマリアと衛。どうやら、2人の『声』は、きちんと彼女達に届いているようだ。
「合格のようですね」
『うん。通じなかったらどうしようかと思った』
それこそが、『力持つ者』の証。そう確信したユエリーと少年猫は、2人に事情を話し、裏猫姫町へと案内するのだった。
●供え物
「これで、大丈夫だ」
そう言って、マリアは仕上げを告げた。禍神の像に記された文字は、彼女達『力持つ者』のパワーによって、文字を消され、その不吉な脈動を止めている。
「人の子の中にも、まだ信じるに足る力を持つ者がいるのだな‥‥」
作業の一部始終を見守っていた猫姫は、ほっとしたようにそう呟いた。
「当然だ。と言うか、こいつの姉は妖魔より恐ろしいんでな」
「余計な事は言わなくて良いの」
マリア、苦手な肉親の事を口にして、衛に突付かれている。そのやりとりに、猫姫の口元も綻ぶ。
「あ、姫様笑った」
「感情がないわけではない。可笑しい時は笑うし、嬉しい時は喜ぶ。もう、気に病む事もなくなったからな」
その事をユエリーに指摘されて、彼女はそう答えた。
「じゃあ‥‥」
「これからは、そなたの申す通り、人の子と共に暮らしていこうと思う。少なくとも、そなたが生きている限りはな‥‥」
だが、それでも素直にはなれないのか、頬を染めながらそう言って、そっぽを向いてしまう彼女。
「姫様、照れくさかったんだね」
「恥ずかしがらなくても良いのに。それじゃあ、これはここに置いて行きますね」
猫姫が、隠れた祠に、ユエリーはそう言って持っていた花束を手向けた。
種類はカサブランカ。花言葉は‥‥高貴。猫姫の為に、彼が選んできたものだ。
「それじゃ、私達も行こうか」
「うん。デートの途中で巻き込まれちゃったしね」
もう、出歩いても襲われる事はない。そう知ったマリアと衛は、中断していた祭を楽しみに、夜の街へと消えて行く。
『友達や恋人や家族を思う心と言うのは、何も人間ばかりではありません。この町には、猫の神様がいて、猫の家族にも、深い愛情を注いでいるようです。その最たるものが、この町で行われる猫姫祭り。今回は、猫と人が仲良くなるその祭へ行って見ました‥‥』
その2人の後姿を、デジカメに納めたユエリーは持ち込んだ原稿に、そう記す。人の子に、猫達が忘れられないように。もっともっと、人と妖しが仲良くなれるように。
「子猫地蔵の夏祭り‥‥っと」
タイトルを、そう記す。話の中心は、猫姫と祠の物語だ。
そして、後実。
ユエリーの観光PRにより、社には花と供え物が集まり、献花台が設けられ、再び奉られる様になったと言う。
こうして、猫姫町の血祭りは、幕を閉じるのだった。
【整理番号/PC名/性別/年齢/職業・クラス/登場ゲーム】
a127/マリア・クム/女/14/念法師/学園退魔戦記ZERO
4748/劉・月璃/男/351/占い師/東京怪談
ども、姫野でございます。
結局、人がいなくなったのは、『祭りの前準備』で、『猫姫様が己の民を守る為に祭りを起こした』と言うオチになりました。
が、猫姫様の祭り症候群も、ユエリーの説得と、マリアの能力で、丸く収まったようでございます。
相変わらず長い話しですが、楽しんでいただければ幸いです。