おいでませ江戸の町 〜肝試し・後編〜

Writer:斎藤晃
Illust:天神うめまる




 ■Lightning rod■

「…………」
 魔鏡の光が静かに収束すると、辺りは再び薄暗さを取り戻した。何だったんだ、とはその場にいた誰もの胸にも去来した疑問であったろうか。半ば呆然としていたゼクスはしかし次の瞬間勝利を確信したように歓声をあげた。
「賞金は俺のものだ!」
 顔は相変わらず無表情だったが、そもそもこの暗さの中では満面の笑顔でもわからなかっただろう。
 抗を下敷きにしたまま退く気配のない妓音が首を傾げた。
「え? 何言うたはる……ん」
 声をかけようとした妓音の腕を抗が掴む。
 振り返った彼女に彼は人差し指を一本だけ立てて口にあてた。
「しーっ」
 妓音が言いかけた内容はこうだ。このバトルの勝利者とは鏡をそれぞれのスタート地点に持ち帰った者の事である。
 どうやらゼクスは勘違いをしているらしい。ならば、勘違いをさせておいた方が好都合というものだろう。
 食べ物に関する執着では抗とてゼクスには足元にも及ばない。しかし勝負となれば話は別だ。幸いこれは大食い大会ではないのだ。貪欲に勝ちを狙いに行く。
「ゼクス」
 抗が声をかけた。
「何だ?」
 ゼクスは鏡を弄繰り回しながら抗の方も振り返らずに尋ねた。
「雷の音が聞こえる」
 耳を澄ますように耳に手をあて抗が言った。
 ここは屋敷の地下であるから、よほど耳を澄ませなければ外の音など聞こえない。試しに妓音も耳を澄ませてみたが、残念ながらそれらしい音は聞こえてこなかった。抗の耳が特異なのか、はたまたESPの成せる業か。
 しかしゼクスは音は聞こえなくてもその単語に反応した。
「雷?」
 わずかだがゼクスの頬がピクリと引きつる。
「俺、雷苦手なんだよね」
 明らかに棒読みで抗が言った。
「うむ。仕方ないな。離れるなよ」
 ゼクスも負けないくらい抑揚なく言った。
 妓音がまじまじと抗を見下ろすと、抗はにっこり微笑んでいる。それに何事か悟った妓音は、抗の上から名残惜しそうに退いた。
「いやぁん。うちも雷かなんわぁ」
 はんなり言って妓音はゼクスの腕に自分のそれを絡ませる。
「かなん?」
 意味がわからなかったのかゼクスが妓音を振り返った。
 その隙に妓音がゼクスの持っていた鏡を掴んで、ちょいと引っ張ってみたが、それはテコでも動きそうにない。しっかと掴まれている。
 残念そうに妓音が肩を竦めると、思い出したように抗が言った。
「そうだ、ゼクス。いいもの見せてやるよ」
 どこか楽しげな顔で抗はゆっくりとゼクスに歩み寄った。
 そして彼はゼクスの腰に佩いていた大刀を抜いてみせる。もしやそれでゼクスを脅そうとでも言うのか。しかし彼とは長い付き合い抗である。そんな事で彼が脅されてくれるわけがない。
 抗は一歩退くと反対の掌を天井に向けた。
 何が始まるのだろうドキドキと妓音は胸を膨らませながらゼクスの腕にしがみついている。
 抗の掌に光の玉が凝縮された。
 刹那、光の螺旋が天井めがけて走ったのである。
 天井を2つほどぶち抜いた光に、直径2mくらいの大きな穴が穿たれら。
 その穴の向こうには曇った夜空が見えている。
 抗が言った通り、夜空には月の代わりに雷が光を放っていた。
「…………」
 見た目はそうでもないがゼクスの腰がわずかに引けた。
 光ってからきっかり3秒で轟音が今度ははっきりとこの地下まで響き渡る。
「近い、近い……」
 抗が笑みをこぼした。
 妓音の顔も楽しげだ。
 ゼクスの顔だけがひどく蒼褪めていた。
 それでも、妓音が魔鏡を引っ張ってみてもそれはびくとも動かないのだから、さすがと言うより他ないだろう。
 そんな事は百も承知なのか抗は握っていた大刀を夜空に向けて掲げ持った。
 ESPエレクトリックは放電系のESPである。
 刀が帯電した。
 その刀を空へ、いや閃光走る雷に向けて投げ上げる。
「ライトニング・ロッド!!」
 適当な名前を付けて抗が言い放ったとき、雷がまるでそれに共鳴したかのように投げ上げた刀に落ちた。
 いや、本当にそうなのだろうか。都合よく雷は落ちるものなのか。PKエレクトリックで雷を演出しているだけだったのかもしれない。
 しかし、そんな理屈は最早どうでも良かったろう、光と音がほぼ同時にゼクスの元へ届いた。
「!?」
 それだけで充分だった。
 避雷針とはよく言ったものである。抗はPKバリアで館への衝撃を殺してみせてゼクスを振り返った。
 体から力が抜けて完全に固まってしまったゼクスから抗は難なく鏡を取り上げる。抵抗は全くない。既に意識もこちらにはないようで、焦点のない視線が雷の落ちた辺りを虚ろにさ迷っていた。
 半ば呆気にとられる妓音に抗が声をかける。
「妓音ちゃん、行くよ」
 右目だけ閉じて軽くウィンクしてみせた。
 それに促されるように妓音はゼクスに絡めていた腕を解いて抗の後を追いかける。
「やぁん。待ってぇなぁ」
 ゼクスは追いかけるどころか、怒るどころか、身じろぎすら出来ずに茫然自失でそこに凍り付いていた。


 ◇◇◇


「ところで妓音ちゃん」
 小脇に魔鏡を抱え妓音のペースに合わせながら抗は隣を走る彼女に声をかけた。
「なんぇ?」
 妓音が首を傾げる。
「俺たちの入ってきた門なんだけど、どっちだかわかる?」
 抗が尋ねた。
「いややわぁ、抗はん」
 妓音はにこやかな笑顔で抗の背中をバシッと叩いた。
「聞く相手まちごぅてはるし」
 自他共に認める方向音痴。勿論わざとでもなく明らかに違う方へ何の疑いもなく進んでいける彼女である。
「……あ、やっぱり?」
 何となくそんな予感はしてたのか、抗がペロリと舌を出した。とはいえ、かくいう彼も完全に方向を見失っているのだから他人の事をとやかく言える立場ではないのだが。
「やっぱりやなんて、いけずな、お・ひ・と」
 別段怒った風もなく妓音が持っていた扇で抗の頬を突っついた。軽くのつもりであったが力が入りすぎていたのか、はたまたその扇の骨組みが鉄で出来ているからなのか、抗の頬にめり込む。
「はは……」
 彼は引きつった笑いをしつつ横へよろめいた。それでも何とか転ぶことなく踏みとどまる。
 そして足を止めた。
「っと……?」
 廊下の先に不審な気配を感じ取って、その右手が妓音を後ろへ庇うように差し出される。
「抗はん?」
 妓音が怪訝に抗を見やった。
 抗は廊下の先を呆然と見つめている。そこに人影があった。
 青い髪に青い瞳。ダンダラ羽織に【食】の一文字を背負った男。
 見紛うはずもない。
「ゼク……ス?」
 だが、2人はあの地下室を出て廊下をまっすぐ突っ切ってきた筈だ。
 先回りなどありえない。ましてやセフィロト随一の貧弱男に先回りなど出来るわけがない。
 抗が念を押すように続けた。
「……じゃないよな?」


 ◇◇◇


 雷鳴は今も近くで轟いていた。
 早くこの場を立ち去りたい。せめて雷の見えない地下室の奥まで移動したい。しかしそれにはきっかけが必要であった。
 完全に萎縮し緊張してしまっている筋肉をほぐすきっかけがいる。
 誰か……。
 せめて周囲に誰か一人でも居てくれたなら、簡単に動き出すことも出来るであろうのに。
「お? 生きてたのか」
 呆れたような声が背後から聞こえてきて、ゼクスはギクシャクと後ろを振り返った。
 そこに冬也が立っている。
 見知った顔に安堵したのかゆっくりと体が氷解していった。意思とは無関係に固まっていた筋肉が自分の支配下へ帰ってくる。
 自覚はしていた。勿論、それを表に出す事はプライドが許さなかったが。彼がこの世で最も苦手なもの――その名は、雷。
 何を於いてもヤツは食えないのだ。その上、役に立たないときている。それだけでも好きになる理由などない。もしかしたら食えれば克服出来たのかもしれないが。
 彼のトラウマはそんなものではないのだが、とにかく大嫌いなのであった。
 カチンコチンに凍ってしまうほど。
 雷が怖い。
 あれはちょっとシャレにならないくらい驚いた。
 だが、それをも凌駕する怒りがじわりじわりと彼の中で湧き上がってきた。
「のぉぉぉぉ〜〜〜〜〜!!!」
 空白の時間を埋めるようにゼクスが絶叫する。
「……元気そうでなにより」
 冬也はボソッと呟いて踵を返した。
 その肩をゼクスがしっかと掴む。
「許さん、抗!!」
 待て、とか、行くな、とかではなく彼の口から出たのはそれだった。最早彼を突き動かすのはそれしかないらしい。怒りが先んじて他の事にまで気が回らないのだ。
「どうした?」
 冬也は聞いてみた。勿論、興味津々なわけではない。単純にゼクスの手を振り払うことが出来なかった事に起因する。
 ばってん羊にではなく別のものに怒りをあらわにしているゼクスに、一応、自分が巻き込まれる理由ぐらいは確認しておきたかったようである。
「魔鏡を奪われた」
 ゼクスが答えた。
「見つかったのか?」
 相変わらず気のない風で冬也が確認する。
「そうだ。くそ、油断した」
「…………」
 先ほど彼が固まっていたのを思い出す。一体何があったのだろう、こいつを固まらせる方法を是非自分にも教えて欲しい……と冬也はチラと考えた。
「時に貴様、雷は苦手じゃないのか?」
 ゼクスが尋ねた。
「は?」
 突然脈絡ない質問に一瞬冬也が呆気に取られる。
「雷だ」
「別に平気だが」
「そうか」
「苦手なのか?」
「平気だ」
「変な汗が出てるぞ」
「気のせいだ」
「…………」
 何となく、彼を黙らせる方法を悟ったような気がして、冬也はぽっかり開いた天井を見上げた。雷の音が先刻から心なしか遠くなったような気がする。
 ともすれば、もうすぐ雨が降り出すのかもしれない。
 ちょっと遅かったか。
「行くぞ!」
 元気を取り戻しつつあるゼクスが気合を入れなおして走り出す。とはいえ彼の全速力など高が知れているのだが。
「だから、そう無闇に動くな」
 冬也が慌ててその後を追いかけた。
 ――ズゴッ。
「!?」
 ゼクスが踏み出した先の床が突然彼の重さで下がった。
「ずご?」
「のぉぉぉぉ〜〜〜〜〜!!!」
 足を踏み外してゼクスがすっ転ぶ。
「やっぱり、バカだろ」
 冬也が呆れ果てたように呟いた時だった。
「上っ……上ぇぇぇ〜〜〜!!!」





 ■Mirror panic■

「何を言ってる抗、俺がわからないのか?」
 ゼクスと同じ声が、心外そうなセリフをまるで表情に乗せないで、ゼクスのように淡々とした口調で言った。
 本当にゼクスのように。
 それでも抗は断言した。
「わかるよ。お前はゼクスじゃない」
 だから彼の事は便宜上偽ゼクスと呼ぶことにする。
「…………」
 偽ゼクスが言葉を噤んだ。
 それにふと何事か心当たったように抗が言う。
「もしかして鏡の中の奴って事か?」
「…………」
 魔鏡の光はなんだったのか。それは一つの可能性だった。まがりなりにもそれは『魔』とつく鏡なのである。これぐらい起こったっておかしくはない。
 抗は身構えるように効き足を一歩下げて妓音を振り返った。
「妓音ちゃん、これ持ってて」
「はいな」
 妓音が彼から魔鏡を受け取る。
「一度、あいつとは手合わせしてみたかったんだよね」
 本気とも冗談ともつかない物言いで、言うが早いか抗は床を蹴った。
 無表情だった奴の口の端がほんのわずか、数ミクロンあがっただろうか。そんなところもゼクスみたいだ。
 彼は動かない。
 これが魔鏡とやらの力なのか――――。
 抗は先手必勝とばかりに回し蹴りを入れる。
 避けられるか、と思ったが彼は意外にも避けなかった。
 正確には、避けられなかった、というべきか。
 偽ゼクスはあっさり蹴りをくらって吹っ飛ばされると、背中をしたたかに壁にぶつけて倒れた。
 一撃だった。
「あ……」
 抗はあんぐり口を開けたまま、暫くそれを見つめていたが、やがて重い口を開いた。
「鏡に映ったものが具現化するってか?」
 しかも、そのまんま。
 正しく彼はゼクスと同レベルだったのだ。運動能力が。となれば、これはあまりに一方的なイヂメに思えてきて抗はがっくり肩を落とした。
 しかし鏡に映ってとかなら、左右対称だったり、性格が正反対だったりしないものだろうか。
「せやったら、こんなんしたらどないなるんやろかぁ?」
 妓音が魔鏡を偽ゼクスに翳してみせる。
「なっ!?」
 再び魔鏡から光が溢れ出した。
「やめ、妓音ちゃん! ゼクスは一人だけで充分だ!!」
 これ以上アレが増えたらと思うと、精神的ダメージの方が大きい抗である。
「あいつが増えたら、誰がそれの面倒みると……」
 ゼクスが2倍。面倒も2倍。ゼクスが3倍。面倒は4倍。
 考えただけで『気』も8倍くらい重くなるような気がした。


 ◇◇◇


「はーっくしゅん! はーっくしゅん!」
 盛大なくしゃみを2度してゼクスはすんと鼻をすすった。
「誰かが俺の悪口を言っている」
「そうか、ならそれは、たぶん俺だ」
 うつ伏せに倒れているゼクスの頭上から冷たい声が低く囁かれた。
「…………」
 ゼクスは悪びれた風もなく視線をあらぬ方へとさ迷わせる。まるで口笛でも吹いて誤魔化すかのようなそんな素振りだ。但し、彼には口笛は吹けなかったが。
 事の起こりは1分ほど前、ゼクスが闇雲に歩いて変なスイッチを踏んでしまったところまで遡る。勿論、彼の名誉の為に言っておくが、悪気があったわけではない。
 刹那、天井が降ってきたのである。
 スイッチに蹴躓いてすっ転んで更には滑ってその地下室の外――というには語弊があるだろうか、とにもかくにも落ちてくる天井の射程圏外まで運よく滑ったゼクスは良かったが、一緒にいた冬也はたまったものではなかった。危うく下敷きになりかけたのである。
「何か弁明は?」
 命からがら難を逃れた冬也が得意の重低音で尋ねた。
 転んで滑ってしたたかに壁で脳天をぶつけたゼクスは、頭のたんこぶを撫でながら上体を起こすと開き直るように冬也を睨み付ける。
「貴様も俺で罠を試しただろーが」
 こちらもお得意のタクトニムすら逃げ出させる冷たい視線を放った。だが冬也は逃げ出しもたじろぎもしなかった。
 ただ、冷たい声で応える。
「そんな事もあったな」
 長い沈黙が二人の間に横たわった。
 しかしどちらが有利かといえば普通に考えれば冬也の方ではなかったか。セフィロト随一の貧弱男に戦う術はない。ついでに歩き回るのも苦手なら、走って移動など非効率甚だしい。彼がいなければゼクスはこの屋敷の地下からも出られないかもしれないのだ。
 確かにゼクスは頭脳明晰である。頭脳戦もお手の物であった。ただちょっぴりそこにも弱点があった。彼はどちらかと言えば、策士、策に溺死するタイプの人間だったのである。――閑話休題。
 とにもかくにも彼は自分の貧弱さを認めてはいたが、それを指摘される事は断じて許せぬ我侭さも兼ね備えていた。
 故に、往々にしてこういった場合、折れるのは相手の方と相場が決まっているのである。
 そしてそれは今回も例外にはならなかった。
 ゼクスは立ち上がると辺りを見回した。
「こんなとこでぐずぐずしている場合じゃない。急ぐぞ」
 そう言って走り出そうとするゼクスに冬也ががっくり項垂れた。別に見捨てても構わない筈なのだが、何となくほっておけないのだ。後味が悪そうで。
 ――たとえば、こうやって勢いこむと必ずまた、すっ転ぶ。
 冬也の予想通り、ゼクスは今度は自分の袴の裾を踏んづけてすっ転んだ。
 ――そして必ず何かに引っかかる。
 冬也の予想を裏切らずやっぱりゼクスは引っかかった。
 ――更に自分は巻き込まれる。
 何かの気配に冬也は前に飛んだ。
 彼がたった今居た場所の後ろの壁に一本の小柄が突き刺さる。それを視界の隅に入れながら飛んだ冬也の足に網が絡まった。
「ちっ……罠か……」
 冬也が舌打ちする。板張りの床に肩から落ちて、痛みに顔を顰めながら、その罠の仕掛け人を睨み付けた。
「まだいたのか……」
 白いふわもこの羊毛に覆われた真っ白な、そして獰猛な羊。
「おぉのぉれぇぇぇ〜〜〜邪魔だ、どけぇ!!」
 罠を作動させた張本人は転んだおかげで罠にはかからなかったようだ。
 冬也は利き腕が上がらなくなっているのを確認してため息を吐き出した。
「しょうがない。あんたは魔鏡を追いかけろ」
「なに!?」
「こんなところでぐずぐずしてられないんだろ? ここは俺が面倒みるから」
 それは勿論、足手まといを追い払う体のいい口実であった。
「…………」


 ◇◇◇


「良かった……増えなかった。減った」
 抗は両手を床に付き肩で息を吐きながら心底安堵したように言った。
 彼の言うとおり偽ゼクスは増えなかった。どころか、偽ゼクスは鏡の中に吸い込まれるように姿を消したのである。
「ほんまやねぇ」
 傍らに立っていた妓音も首を傾げた。
「一体、何なんだ……」
 抗がゆっくり立ち上がる。
「あれがゼクスはんの真の姿とかやろか?」
 妓音が言った。
「あいつはいつも自分をさらけ出してるからな」
 それは同意の意味なのか。彼は何とも微妙な相槌を打つ。
 普段の彼と変わらない偽者だったのだ。
「そりゃ勿論、隠してる事もあるだろうが……」
「したらうちは覗かんとこ」
 妓音が言った。女の子が真の姿など早々さらけ出していいものではない。
「しかしあれだよな。もっと何か凄いもんでも出てくるかと思ったぜ」
 抗は肩を竦めた。
 たとえば、あの世とやらと繋がっていきなり幽霊が大挙してやってくるとか。想像して彼は一つ身震いした。実は幽霊が嫌いなのである。実際に出てきたら即座に死んだ振りだろう。挑まれた勝負は受けて立つ。他人の勝負にはしゃしゃり出る。但し、相手が幽霊なら不戦敗。
「一番怖いんは自分自身いう事やろか?」
 これは肝試し。なら、肝を試すのは実はこの魔鏡という事だろうか。
「どうせなら毒龍とか出てくりゃ面白いのにな」
 抗がどこかつまらなさそうに呟いた。確かに自分自身と戦うなんて滅多に出来る事ではないし面白そうだとも思うが、ある意味人生は自分自身との戦いの連続である。ちょっと哲学染みてみたり。
「毒龍?」
 妓音が耳慣れない言葉に首を傾げる。抗は「おう」と頷いた。
 毒龍とは、中国で吉祥を現す龍と区別する為に用いられる名で、一般には西洋ドラゴンの事を指す。しかしそんな事は、妓音には知りようもない事であった。
 だから、なのか。
「えぃっ!!」
 妓音は突然抗に魔鏡を向けた。
 もしかしたら毒龍とやらの正体を見るつもりなのか。勿論、抗の真の姿が毒龍なわけではないのだが。この魔鏡が肝を試すというのなら――とは、これもまた一つの可能性だった。ちょっぴり考えなしな行動ではあったが。それは好奇心の成せるわざなのである。
 真の姿を現すのか、それとも――。
「妓音…ちゃん!?」
 驚いたように見開いた抗の目に魔鏡が映る。魔鏡には間の抜けた彼の顔が……映ってはいなかった。
 ただ魔鏡の鏡面からは溢れんばかりの光が迸った。
「!?」
 妓音が抗に鏡を翳したまま固まった。
「なっ!?」
 抗の顔も驚愕に歪む。
 そこから現れたものを凝視して。
「もしかしてこの魔鏡って……」
 ぼんやり抗が呟いた。
「なんえ?」
 どこかのんびりと妓音が相槌を打った。
 あてが外れたとか当たったとかはもうどうでもいいだろう。ただただ、今は期待に胸が膨らんで顔がにやけてきてしまう。面白そうなことになってきた、と。
「心を映して具現化する……のかも?」
 抗が言った。
「俺、今、毒龍と戦いたいとか思ってたもん」
 なるほど、そこには彼の言う毒龍がいた。
 硬い鱗に覆われ大きな翼を広げた西洋ドラゴン。その鋭く猛禽を思わせる凶暴な2つの目が2人を見下ろしていた。これが毒龍なのか。
 妓音はその巨体を見上げて満足そうに笑った。この状況を楽しんでいる風に。
 屋敷の半分を狭しと瓦礫に変えたその巨体は、今にもその口から火炎や毒煙を吐き出しそうである。
「したら、ゼクスはんは何やったんやろね?」
「あいつはいつだって自分の事しか考えてないからな」
 抗がきっぱり断言した。
「……せやったらうちはやっぱり覗くんやめとこ」
「なんで?」
「ふふ。ひ・み・つ」
 唇に人差し指を一本あてて妓音は楽しげに笑った。
 しかしそれで詮索するでもなく、抗は笑顔で踵を返し空を翔る毒龍と対峙する。
 と、そこへ――。
「抗! 鏡を返せ!!」
 瓦礫を乗り越えゼクスが駆けて来た。普段感情を面に出さない彼が憤怒に顔を歪ませて凄い剣幕をしている。よほど怒っているらしい。
「本物だ」
 そう言って抗は妓音に肩を竦めてみせた。
「何が本物だ!?」
 わけのわかない事を言われて更にムッとしている。もう何を言っても怒らずにはいられないのかもしれない。
「いいよ」
 抗が言った。
 あっさり言われて呆気に取られるゼクスの傍らで妓音もきょとんとした顔をしている。
「えぇのん?」
 それに抗は一つ頷いて答えた。
「妓音ちゃんが良ければ」
「うちなん、別に抗はんがいらんのやったらかめへんけど……」
 元々彼女は、魔鏡にそれほど執着があったわけではない。この肝試し大会とやらを楽しむ為の趣向がそれだったから付き合っていたにすぎないのだ。
 彼女の行動の規範は『楽しいか』『楽しくないか』『面白いか』『面白くないか』、それだけである。現時点での話をすれば既に十分楽しんだ。勝ちは二の次だって構わないくらいなのだ。
「最初に見つけたのは俺だぞ」
 ゼクスが主張する。
「俺はあいつと戦えれば満足」
 抗が言った。あいつとは勿論、毒龍の事だ。
「そっちのが面白そーやし、うちもえぇわぁ」
 妓音は魔鏡をゼクスに押し付けて抗の方へ軽い足取りで駆け寄った。そっち、とは無論、抗vs毒龍の事である。
 妓音から鏡を受け取ったゼクスの顔から怒りのそれが消えた。無表情なその顔の、しかしその瞳の奥の奥に喜色を湛えている事に気づいた者はいただろうか。
 ゼクスは魔鏡を掲げ持って言い放った。
「魔鏡よ! さぁ、金を出せ!!」
 出るわけがない。
 一方、抗は妓音に「下がってて」と言葉をかけるとESP飛行で毒龍に向かって飛んだ。
「うち、怖いわぁ〜」
 一生懸命鏡を振って金を出そうと試みているゼクスの腕にしがみついて妓音が言った。言葉ほど怯えた風もない。
 ゼクスはそれを邪魔そうに見やってから、ふと抗を振り返る。
「うむ」
「あんたはんは行かへんの?」
「抗の邪魔はしない」
「そぉゆぅもんなん?」
「そうだ」
 妓音は知らなかったが、ゼクスは自他共に認める戦力外の男である。セフィロト随一の貧弱男は本当にただの邪魔しか出来ないだ。そしてその一方で彼は自分の役割をちゃんと心得てもいた。自分がいるから抗は心置きなく無茶が出来るのだ、と。ゼクスのESP治療は瀕死の怪我でも瞬時に治すことが出来るのだ。
 抗が毒龍に攻撃を仕掛ける。
 巨体が動くたび、かろうじて残っていた屋敷はどんどん壊されていく。
 毒龍の巨大な口が開いた。
 そこにエネルギーが球状に集まっていく。まるで火炎の球のように渦巻いて。
「なんや毒龍はん、こっち向いたはっ……」
 言いかけた妓音の言葉はそこで途切れた。毒龍の火炎攻撃が彼女らに向かって飛んできたからだ。
 それでもゼクスは微動だにしなかった。大した男である。正確には彼の運動神経の成せる業であった。単純に繋がっていないのだ。
「危ない!」
 抗のPKバリアが二人を包む。
「…………」
 毒龍の一撃が屋敷を半壊させ爆煙を巻き上げた。
 その向こうで半分焼け焦げた風の抗が倒れこむのが見えただろうか。
「抗はん!?」
「ちっ……もらっちまった……」
 どうやら二人にバリアを張るのが精一杯だったらしい。
「…………」
 ゼクスが抗に駆け寄った。その途中で瓦礫に足を取られて派手にすっ転ぶ。
「…………」
「もう、なんやの!?」
 妓音が焦れったそうに声を荒げた。それまでのぶりっ子ぶりが嘘のようだ。
 毒龍が空を旋回して再び攻撃に転じる構えを見せている。
 それを睨み付ける彼女の青かった左目が、突然赤く底光りを始めた。
 たおやかな立ち居振る舞いが一転して、粗野なそれに変わる。女の子が着物の裾を尻っ端しょったのだ。
「わしが相手したるわ!」
 どすの利いた声で言い放って、妓音は鉄扇を構えた。
 まるで別人のようだ。性別まで変わってしまったかのように見える。
 その姿は果たして彼らの視界の片隅入っていただろうか。
 ゼクスが地面を這いながらも何とか抗の元へ辿り着く。
「いんでもーたれ!」
 彼女の体からオスの孔雀が羽を広げたような形をした炎が高く立ち上がったかと思うと、一本の火柱が天空を駆ける毒竜を襲った。
 辺り一面を焼き尽くす豪火に抗が咄嗟にPKバリアを張る。
 ゼクスはPK治療で抗の傷の手当てをしながら唖然とその様を見つめていた。
 燃え盛る炎は毒龍だけでなく館をも飲み込んだ。まるでコントロールがきかないかのように辺り一面を焼き尽くす。
 門の前にいた梅たちも呆然とそれを見上げていただろうか。いや、屋敷の天井に穴が開いた時から呆気に取られて見ていただろう。
 毒龍に、また収集のつかんもんを召喚しおって、と思いながら。
 次の瞬間、雨が降り出した。
 雨は雲をも払って降り注ぐ。
 燃え盛る炎を沈下するようにそれは降り注いでいた。
 スプリンクラーという名の雨であった。
 この世界を少なからず知る者なら、それに気づいたであろう。ここは時空艇の中であり、空には天井があるからだ。
 熱気に冷房がフル稼働でも始めたのか、はたまたどういった仕組みになっているのか、雨はやがて雪へと変わり始めた。
 三人の元にも雪が、作り物の淡い月明かりを湛え蛍のように降り注いだ。
「…………」
 妓音が我に返る。
「雪……?」
 呟いた。
 それから尻っ端しょっているのに気づいて顔を赤らめつつ慌てて着物の裾を払う。
「雪だ……」
 抗もゼクスも立ち上がり空を仰いだ。
 そうして三人は屋敷が燃え殆ど瓦礫と化した場所にしばしぼんやり佇んでいた。
 妓音は大して汚れてはいなかったが抗とゼクスはボロボロだった。
「何故金が降ってこない?」
 ゼクスが本気で不思議そうに言った。
「…………」
 抗が呆気に取られる。この期に及んでまだそれを言えるのか。
 三人の元へ梅と椛がやってきた。他の者達の元へはそれぞれの門番が行ってる事だろう。
「とんでもないお人達やな」
 梅がしみじみ言った。
「おい! 金が出ないぞ」
 ゼクスが尋ねた。それを椛も梅も無視した。
「でも、楽しんでもらえたみたいね」
 椛が言う。
「賞金を出せ」
 ゼクスが負けじと自己主張を続けた。
「おう、楽しかったぜ」
 抗が満面の笑みを浮かべる。
「うちも」
 妓音も笑顔を返した。
「賞金はどこだ」
 ゼクスは梅の肩を掴んで揺すった。それに梅はギロリと一睨みすると持っていたキセルでゼクスの手の甲を打ち据えた。
「いっ!?」
 あまりの痛さにゼクスが悲鳴をあげる。顔は無表情でちっとも痛そうには見えなかったが、目じりに涙が浮かんでいるから、かなり痛かったに違いない。
「賞金が出るなんて誰が言うた」
 呆れたように梅が言った。
「なに!? 賞金はないのか……貴様よくも俺を謀ったな!」
 勝手に勘違いしていただけのくせに、酷い言いようである。
「だまらっしゃい!」
 梅は飛び上がるとゼクスの頭頂部をキセルで再び打ち据えた。痛みに頭を抑えてうずくまるゼクスを横目に、のんびりとキセルを咥えて煙を吐く。
「大体お主、門に辿り着いておらぬではないか」
「何だと!?」
「勝者は魔鏡を門まで持ち帰った者だ」
「何!?」
 すっかりルールを勘違いしていたゼクスは漸くその事に気づいたのか門を探すように辺りを見渡した。
 そして魔鏡を確認する。
 パキッ。
 それは、嫌な音をたてた。
 彼が肌身離さず大事に持っていた魔鏡の鏡面に皹が入ったのだ。
「!?」
 次の瞬間、魔鏡の鏡面は木っ端微塵に砕け散った。
「…………」
「参加賞は思い出ってとこかしら?」
 椛が肩を竦めてみせる。
「な…に……?」
「ま、いいんじゃない?」
「ほんまやねぇ」
 抗と妓音は満足そうだ。
「俺は納得が出来ーん!!」
 ゼクスだけが不満を湛えている。
「じゃぁ、達者でな」
 梅が言った。椛がその傍らで頭を下げる。
「またね」
 妓音が梅と椛と、それからゼクスと抗に手を振った。
「おう、また呼んでくれや」
 抗がそれらに笑顔を返す。
「金返せ〜〜〜〜〜」
 ゼクスの絶叫はかなり長い間、江戸艇に響き渡っていた。





 ■Ending■

「よっ……」
 妓音は10円玉を手の中に握りしめた。
 寸分違わず元の時空。
 それでも確かにあれが現実であったと、着ている服が物語る。
 そのままゆっくり腰を上げて佇むと、空を見上げた。
「相変わらず、けったいなとこやったな」
 呟いた彼女の元に季節はずれの雪が舞い降りる。
「?」
 雪を受け止めようと差し出した手に、小袖に何やら引っかかっているのに気づいて覗き見やる。
 いつの間にやら紛れ込んでいたのか、鹿角で作られた狐の根付であった。
 どちらのものかはわからないが、妓音はそれに口付ける。
「えぇ男はん達やったなぁ」
 また会えるだろうか。


 ◇◇◇


 エビフライが目の前にあった。
「何だ夢か」
 どこか拍子抜けたような顔でゼクスはエビフライを口に運んだ。『彼』が行方を不明した時はどうしようかと思ったが、無事に自分の元に帰ってきてくれたのだから良しとしよう。賞金は取り損ねたが、万一賞金を得たのに目が覚めたら何にもない、とかになるぐらいなら、全然マシというものだ。
 今は海老を食べられる喜びに感謝する。
「夢じゃないよ」
 自分の出で立ちを見下ろしながら向かいに座っていた抗がため息を吐いた。
「ん? そういえばお前何変なかっこしてるんだ? さっさと普通の服に着替えろ」
 言われて抗は呆気に取られた。
 それからため息を一つ。
「そっくりそのままその言葉、お前に返すよ」
「へ?」
 言われてゼクスは自分を省みた。
「のぉぉぉ〜〜〜〜〜!!!」
 それでも、夢なら夢でまた夢の続きが見れるだろうか。
 現実なら現実でまた会えるだろうか。
 抗が立ち上がる。
 それをどうとったのかゼクスは無言で抗の皿のエビフライを自分の口の中に放り込んだ。
 そんなゼクスに苦笑を滲ませつつ何だかしんみりと彼は家の外に出る。
「雪……?」
 たった一つ。
 季節はずれの雪は、彼の掌の上で溶けて消えた。





 ■End■


【整理番号/PC名/性別/年齢/職業・クラス】

東京怪談
【5151/繰唐・妓音/女/27/人畜有害な遊び人】

サイコマスターズ・アナザーレポート
【0641/ゼクス・エーレンベルク/男/22/エスパー】
【0644/姫・抗/男/17/エスパー】


東京怪談・異界〜境界線〜
【NPC/仁枝・冬也/男/28/司法局特務執行部】
サイコマ・ジャンクケーブ〜禁区〜
【NPC/ばってん羊/男/???/タクトニム】
東京怪談・異界〜時空艇−江戸〜 <案内役>
【NPC/江戸屋・椛/女/20/若い女役】
【NPC/江戸屋・梅/女/52/老婆役】


 ラストはちょっぴりしんみりと後編をお届けします。
 違うゲームでの共演という事で、
 『また』の出会いがあるのかないのか。
 少しだけ寂しいような気もしながら書かせて頂きました。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。