少女と虹色蛍・後編
Writer:silflu
Illust:大橋直人
――虹色蛍の泉、この先20分。
昔に立てられたのだろう木製看板を目にすると、ジュドーは何だか哀愁が込み上げてくるようだった。今日まで健在しているからには強力な防腐防虫加工が施されているのだろうが、それでも全面古ぼけていて枯れ木の残骸のようだ。字もかすれて一見しただけでは読みづらい。
ジュドーは試しに端に手をかけて力を入れてみた。いとも簡単にメシリと、年季を感じさせる音を立てて折れてしまった。
この看板はどれほどの時間新しい人間を待っていたのだろうか、などと他愛のないことを考える。
――そもそも、虹色蛍は今日でも健在なのだろうか? ここまで来てそんな疑問が浮かび上がってくる。この古びた看板を見てもわかるように、かつて人が出入りしていた頃とはだいぶ状況が違う。たとえば……虹色蛍は魔物の襲撃に遭い、ずいぶん前に絶滅しているなどということはないのだろうか。
ここの魔物はいずれも一筋縄ではいかぬ曲者揃い。先ほどの魔物などは正々堂々一対一の勝負を仕掛けに来たと思えば、背後からこっそり忍び寄る仲間があった。一歩反応が遅れていたならば、鋭利な爪で心臓を貫かれていたろう。またある怪鳥などは、毒霧を吐いて目潰しを食らわそうとした。他、勝つためには手段を選ばないものが大勢だ。
純粋に強いだけでなく、狡猾なのだ。だから欲張りな人間と同じように、無意味に虹色蛍を乱獲するような輩がいたとしても決して不思議ではないように思われる。
「……いかんな。戦いに次ぐ戦いで脳が疲れたのか」
暗い予想を振り切った。弱気なつもりは毛頭ないが、疲れていないといえばもちろん嘘になる。
刀を見れば刃はだいぶ魔物の脂や血で汚れてしまっていて、いかに激しい戦闘を乗り越えてきたかを物語っている。刀身だけでなく、柄にも汚れが滲んでいる。いつ襲撃があるかわからぬこの状況では、のんびりと拭っている暇もない。無事に帰還してから考えればいいことだが、完全に綺麗にするのにはなかなかの手間がかかりそうだった。
「はあ!」
裂帛の気合を放ち、振り向きざまに刀を斜めに振り下ろす。
赤茶けた血が飛び散ってジュドーの顔と服に付着した。またしても背後から音も立てずに接近してくる者があったのだ。真っ二つにされて息絶えた敵を見下ろし、ジュドーは一息ついた。
「さっさと進むが勝ちかな」
残り20分の行程。森に入って間もなく襲撃されて、これでは先が思いやられるなと思ったものだが、こうして明確なゴールが見えた以上、もはや己を鍛えるための戦闘は後回しにした方が良さそうだった。
もとより暗い森の中だが、ここに来て塗り固めたような暗闇が押し寄せてくる。もはや日没寸前というところだろう。ジュドーはかねて用意の松明に火をつけると、さらに歩みを進めた。
幸いにも魔物の気配はない。このまま突っ切れればいいと考えた、その矢先だった。
「――!」
ジュドーは急に出現した並々ならぬ殺気に立ち止まった。
前方約10メートル、松明の光にわずかゆらめく影がある。入口で遭遇した魔物に体色も姿形も酷似しているが、幅と高さがさらに一回り大きい。それが驚くほど静かに、だが叩きつけるような殺気、妖気を放射しつつ、ジュドーをまっすぐ見据えている。
「まさかお前、泉を守る主なんじゃないだろうな」
語りかけたが答えるはずもない。しかしジュドーは、この敵がこの森で一番の強者であると即断した。今までとは、この気からして格が違う。
片手が松明で塞がっているから、腕一本で戦わなければならぬ。戦闘だけを考えるなら松明など投げ捨ててしまえばいいのだが、ここが森ではそうもいかない。火事にでもなったら大変である。第一この明かりがなければ、ほとんど周りが見えなくなってしまう。一か八か気配だけで敵を捕らえる心眼を用いてもいいが……ここは松明を持ち片手で応戦する選択をした。
「――来い」
構えた刹那、魔物が水平に飛んできた。
灰色の豪腕が唸る。巨大ハンマーのような打撃、まともに受けたならば即刻戦闘不能だろう。ジュドーは辛くも横に抜けてかわしつつ、相手の腕に一撃を与えた。
手首に否応なく負荷を感じる。体の硬さが半端ではない。やはり片手では相当な無理がある。これではろくなダメージも与えられない。
――狙うならば首、心臓、額。この絶対急所を突く以外にはなさそうだ。
魔物が再び向かってくる。距離など無きがごとく、まるで豪風のような突進力だ。だがその勢いを利用――カウンターの要領で急所に突き立てることをジュドーは考える。凄まじい攻撃はえてして凄まじい欠陥を併せ持つものだ。
繰り出される爪を、紙一重以上の危うさで回避! そして心臓めがけて刃をまっすぐに――。
「ガッ!」
鈍い音を体の内部に聞いた。意識が遠くなりかける。膝蹴りを腹に入れられたのだと気づくのに数瞬を要した。ジュドーは玩具のように後方に吹き飛ばされていく。
喉から血がせり上がってくる。内臓のどこかが傷ついたか。たまらず膝を折った。
魔物の重い唸り声が聞こえる。これから殺してやると言っているのがわかる。
武士たるもの常に死は覚悟の上。いよいよ死ぬか。心底からその思いが浮上する。意識がついに断絶する。
――その寸前、影が浮かんできた。
影は白い。場所は小さな部屋。そこに少女の祈る姿が――。
死ねない! ここではまだ死ねない!
ジュドーは立つ。痛みなど考えぬ。前だけを見る。
「お前……誰かと約束したことは、あるか?」
ジュドーは喘ぎながら独り言のように言った。魔物は雄叫びを上げてそれを掻き消し、一気に間合いを詰めてくる。
「私は今、約束をしている。必ず帰る、と」
一思いに楽にしてやるとばかりに、魔物は両手の爪を振り上げる。
「何もないままの私だったら、ここで地に伏したかもしれん。が、今は違う」
松明が揺らめく。
「果たすべき約束がある。それをお前が阻むというのならば――打ち砕くのみ!」
魔物が静止する。恐れの表情を覗かせる。ジュドーはいつの間にか魔物の背後にいた。
「武士、ジュドー・リュヴァイン。推して参る!」
ジュドーの体から青白い炎が立ち上る。否、炎よりも熱い闘気だ。持っていた松明の火は、それから生じた暴風に消されてしまう。周囲一体は松明を持っていた時よりもはるかに明るい。ここだけに昼の太陽が降っているようだ。
「最初からこうすればよかったのだな。限界以上で戦うこと――」
絶叫。魔物は自暴自棄気味に愚直な突進を仕掛けた。
また魔物の目の前からジュドーが消える。どこへ行ったと探そうとした。
「――さらば。いい勝負だった」
背後にその声を聞いたのと同時に、魔物は真っ白な塊に包まれた。魔物には蒼破が真円を描いて自身に吸い込まれたのが見えなかった。
断末魔が上がる。魔物の体は白い光の中で両断されていった。
ああ見つけた! とジュドーは唇の端を上げた。全身の疲労はどこぞへ押しのけて、全力でそこまで駆け抜けた。
木々が開けて夜空が見えた。すでに陽はない。今夜は星がよく光っているが、ジュドーはすぐに頭上から目を逸らす。
さながら舞踏会場だった。
濃密な暗い空間に幾百、幾千もの七色の光。指先ほどの大きさのそれは絶え間なく上下左右に揺れて動いている。きっと求愛のダンスだろう。そのさらに下には鏡のような綺麗な水面があって、この光の群れを増やすという憎い演出を買っている。
見る者を圧倒する大自然のダンスホール。それが虹色蛍の生息する泉だった。
ジュドーは見惚れた。見惚れる以外の何もしなかった。喋らないし、ため息もつかないし、動かなかった。今この瞬間に背後から敵が襲ってきたとしたら、決して避けられず命を落とすだろう。そのくらいに前方だけを見ていた。
虹色蛍の何匹かがジュドーに近づいて、彼女はハッと我に帰った。ここで初めて感想を述べた。
「まるで妖精郷だな……」
いや、これは事実妖精の類なのかもしれないな、とジュドーは考えた。このような神秘幻想を閉じ込めた光を放つ存在が、普通の虫や生物であるはずがないではないか。あるいはもっと神的な存在なのかもしれぬ。
両の手の平を上に向けてみた。ここに乗っかってくれるかなと期待する。
虹色蛍は人間を恐れないのか、それともちょうどいい休憩場所と思ったのか……とにかくジュドーの期待通りに、1匹2匹3匹と集まっていく。手の平に魔法的な不思議な力が宿っているようだった。ジュドーはまた瞬きするのも惜しいくらいに見惚れた。
手の平を広げたまま、泉のほとりに腰を下ろした。七色の光の乱舞を目にしていると、次第に疲れが癒された。そればかりでなく魔物から受けた傷も治っていくようだった。この場所は聖なる結界なのではないかと思った。実際に魔物の襲撃は受けていないようだから、あながち間違いではないかもしれぬ。
世の中には何と素晴らしい現象があるのだろうかと感嘆する。ジュドーは度重なる冒険の最中で、幾度も自然の奇跡に出会ってきた。それは途方もなく美しかったり雄大だったりする。だがこの光景は――。
「言葉はいらない、か」
ジュドーは考えうる最大の賛辞を、敬意を込めて送った。人間の言葉で下手に形容しようとしても追いつかないのだと、誰も異論を挟まないだろう。
喉の渇きを覚え、泉の水をすくって飲んでみた。この虹色蛍が集まる場所なのだから、その味に間違いなどないだろう。思ったとおり、飲んだ先から洗われるような、ただただ清らかな味わいだった。先の戦闘で失われた活力が再び漲ってきた。
ついでに汚れを拭い落とそうと刀を抜いた。だが、切っ先を水面につけたところで体が止まった。そして止めておこうと決断した。この泉をわずかでも魔物の血などで汚すのは、あまりに恐れ多いと思われた。
深呼吸する。今夜はここに留まりたいくらいだと思った。まだまだ、細胞すべてにこの絶景を記憶したかった。
しかし、まだ依頼は終わりではない。さあ、一刻も早く少女に見せてやらなければならない。
ジュドーは荷物から虫カゴを取り出した。また手の平を差し出す。
「お前を見たいという者がいる。一緒に来てもらえるかな」
虹色蛍は応答するように点滅して、何匹かが手の平に乗った。
――人を待つということは想像以上に辛いのだと少女は思い知った。
同じ女性でありながらもあれほどまでに逞しく、輝かしく、雄々しい人は初めて目にした。自分にはない強さを持った人。あんなふうに強くなりたい。ジュドーが森に発ってからは、また会いたいという感情だけが少女の内を占めた。
戻ってくるなら今日あたり。今日がダメなら明日か明後日。それでも戻ってこなかったら?
恐ろしい光景が、いやでも鮮明に浮かんできてしまう。自分のために頑張ってくれた人が――無残にもその命を魔物に奪われ、その体は骨の髄まで貪られ、わずかな残骸はやがて誰も知らぬうちに風化し、塵と化していく。
いけない。そんなことを考えている暇があったら祈ろう。不吉な光景を頭から追い出して、少女は胸の前で手を組んだ。思えば自分のわがままで、見知らぬ他人を危険な地に駆り立ててしまったのだ。何と罪深いのだろう? 虹色蛍なんかどうでもいい。あの人が無事ならそれでいい――!
部屋の扉がノックされた。もう夕食の時間だった。窓の外ではとうとう夕闇が西に落ちようとしている。そういえば部屋には灯りも点けていなかった。
あれ? と少女は思った。扉の向こうから声がかからない。いや、そもそも母親ならノックと同時に遠慮なく入室してくる。
ああ、まさか。少女の涙腺が緩む。声を絞り出す。
「どうぞ」
扉が開く。
「ジュドー・リュヴァイン、ただいま戻った」
その声、姿と同時に、暗い部屋を虹色の光が照らした。
「これが、虹色蛍」
少女は虫カゴの中の虹色蛍を、吸い込むほどに目に焼き付ける。灯りは落としたまま。部屋はさながら七色の宝石箱のようである。
「泉の周囲はもっと素晴らしかった。できることなら見せてやりたいと思うほどだったな。森に魔物が跋扈する以前の人々は何と幸せだったのだろうか」
ジュドーは少女を邪魔しないように、少し離れて椅子に座っている。もっとも、近くで見ても離れて見ても、この世のあらゆる美を凝縮したような、原始的かつ崇高な七色の煌きに一切の変わりがあろうはずはなかった。
少女は目を伏せ、また開き、慈しむように蛍を眺める。カゴの外側に指先を当て、蛍の動きに沿って動かす。
「言葉もありません」
「私と同じ感想だよ」
ジュドーと少女は顔を見合わせ、笑った。
「……太陽みたいに、ずっとこのまま輝いていてほしいけど、無理ですよね」
「ああ。蛍は短命だからな。残念だが数日のうちには死んでしまうのだろう」
いつしか、少女の目元から涙が一粒二粒零れ落ちていた。
「短い命を、こんなにも健気に、頑張って生きている――それに比べて私はなんて弱かったんだろう」
「……今までは諦めが強かったのだな」
「その通りです。私、心の底ではどうせ治らない、この先ずっと弱った体のままだなんて決め付けて、諦めていたんです。お医者さんだってお母さんだって、努力すれば治るっていつも言ってくれているのに……私は弱気のままで」
濡れた目元を拭く。そして言った。
「でも……これからは違います」
少女は微笑を向けた。
「私、一生忘れません。今夜贈っていただいた、ふたつの光を」
「ふたつ?」
「この虹色の光と――ジュドーさんの勇気と強さの光です。あなたの光はとても眩しくて、私を元気付けてくれました」
そうか、とジュドーは静かに呟いた。
「……初めはな、特に蛍に興味をそそられたわけではないんだ。魔物と闘える、その程度だった。だが……強くなりたい、その言葉を聞いたら、人事とは思えなくてな。強くなる、その道は平坦な道じゃない。苦しくて辛くて、諦めた方が楽かもしれないと思うこともある。でも……強くなりたい、その心を持ち続けていれば……いつか、病にも打ち勝てるほど、強くなれる」
半分は少女へ、半分は自分への言葉であった。
ジュドーは椅子から立ち上がった。少女の表情は強い。
「ではな。もう会うこともないだろうが、明日にでも君の強く成長した姿が目に浮かぶだろう」
「……さようなら!」
ジュドーは虹の光が照りかえる部屋を後にした。一夏の思い出を胸に刻んで。
【了】
【整理番号/PC名/性別/年齢/職業・クラス/登場ゲーム】
1149/ジュドー・リュヴァイン/女/19/武士(もののふ)/聖獣界ソーン
silfluです。このたびはご参加ありがとうございました。
ジュドーさん、大変お久しぶりです。
このたびは美麗グラフィックとの共演ができ、満足です。
虹色蛍という発想は以前からあったんですが、
こうして形にすることができて、嬉しい限りです。
ジュドーさんの戦闘シーンは楽しんで書くことができました。
少女とのちょっとした人間ドラマも気に入っています。
それではまたどこかでお会いしましょう。