●出会い
目の前に広がる、一面の銀世界。やや多い雲の合間から陽の光が射し込み、斜面をきらきらと照らす。そこへ綺麗なシュプールを描きながら、一人の男性が滑走してくる。軽快なリズムで滑走する様は、かなり手練れているのが見て取れる。
「桂の奴、毎年滑りに行ってるだけあって上手いよなぁ」
卜部・彼方は、麓から彼の滑りを見上げて一人ごちた。
門倉・桂の後ろから、艶やかな黒髪のポニーテールを靡かせながら、一人の女性が彼に付いて滑降してきた。桂に付かず離れずの距離を保ちながら付いてくる辺り、彼女も彼に負けず劣らず、なかなかの腕の持ち主だ。
二人は徐々にスピードを緩めながら、麓で待つ彼方の前で止まった。
「今年は雪不足って話だから、コンディションは期待していなかったんだが、なかなか良い感じじゃねぇか。水谷、よくこんな場所知ってたな」
「でしょでしょ? ここって温泉地も近いし、結構穴場なんだよね」
二人はゴーグルを上げると、早速、雪のコンディションに始まり、先程のお互いの滑りについて歓談する。
ここ『寺湯スキー場』は、スキーデビューする初心者からプロさながらの上級者まで、幅広いスキーヤー層が楽しめる、起伏に富んだ六つのコースがある。今、水谷・千里達が滑ってきたのは、滑り出しは谷筋のためやや狭く、麓に向かって斜面が急になる、テクニカル且つスピードが楽しめる、寺湯スキー場で最もロングなコースだ。
「何だ彼方、まだこんなところにいたのか?」
「‥‥お前なぁ、俺が滑れないの知ってて連れてきたんだろ?」
話が一区切りしたところで、ようやく彼方の存在を思い出したかのように、桂は彼の方を見遣ってにやにやと笑う。スキー板を履いてストックを持ち、一応、様になってはいるが、足が震えている辺り、立っているのがやっとの状態だった。
悪友の性格を知っている彼方は、拳を振るわせながら反論する。
「彼方、滑れないの?」
「スキーは、中学生の時にスキー教室でやったくらいなんでね」
千里に聞かれ、彼方は苦笑を浮かべて肩を竦める。
「そういえば浩之は? あいつもスキーは滑れないから、ソリを滑ってたんだろ?」
「浩之なら、桂達が頂上行きのリフトに乗った後、センターハウスへ行ったよ。こういうところのゲーセンには、古いゲームが置かれていたり、掘り出し物の景品が手付かずのまま残っているんだってさ」
「な、何か、浩之らしいよね」
桂が辺りを見回すが、北川・浩之の姿が見えない。桂と千里が滑りに行く前は、何故か角の付いた帽子を被り、『俺の乗るソリは通常3倍のスピードで滑れる! 雑魚とは違うのだよ、雑魚とは!』と、今、彼方達のいる初心者の練習コースをソリで滑っていたのだが、さっさとセンターハウスへ引っ込んでしまったようだ。
もっとも、浩之の場合、スキーは滑れないから、それがお目当てでここに来たようなものだろう。
「か、彼方、もしよかったら、ボクが教えて‥‥」
「まぁ、待てよ。来た」
千里が握りしめた拳を動悸を抑えるように胸に置いて彼方に切り出すが、桂が遮る。
「麗子、先程教えたボーゲン、まだ身に付けていないんですの!? 直滑降でもいいからそのまま滑りなさいな」
「そ、そんなぁ、止まれないのにスピードが出てしまいますよぉ。待って下さい〜、直美様ぁ〜」
「麗子ちゃん、私が付いてるから焦らなくて良いよ。もう少し体重を、そう、右足に掛けて。その調子その調子」
彼の視線の先には、六つあるコースの一つ、中級者向けのフラットロングコースから滑走してくる、女性の三人組の姿があった。そのコースは眺望がよく、特に女性のスキーヤーに人気のあるコースだ。
先頭を滑る笠原・麗子は必死に内股になり、できるだけスピードが出ないようにしている。まだシュテムターンも満足に出来ておらず、中級者コースを滑るにはまだ無理がある。その後ろを滑走していた笹本・直美は、彼女のもたつき振りに呆れると、付き合いきれないとばかりにさっさと先へ行ってしまう。室住・瞳は麗子の横で、置いていかれて半泣きになる彼女を宥めながら、加重の掛け方を丁寧に教え、麓まで付き合っていた。
「よぉ、彼女達、大変そうだな」
先に降りてきた直美に、桂はクールに話し掛ける。直美はスキーウェアからスキー板まで、一流ブランド品だ。直美も彼を一瞥する。それは桂も同じで、ルックスは及第点といったところか。
「見ての通り、あの娘、トロくて困っていますの」
「そのようだな。どうだ、俺達が教えてやろうか? 教える奴が違えば新鮮だから、覚えが早いぜ? その代わりに、君達もこいつに教えて欲しいんだ。こいつも下手でさぁ」
「お、おい、桂‥‥」
腕を組みながら麗子が降りてくるのを待っている直美がそうこぼすと、桂はここぞとばかりにコーチを申し出る。彼の狙いが読めた彼方は、桂を止めようとした。
「直美ちゃん‥‥」
「いいでしょう。瞳、教えて差し上げなさいな」
「‥‥まぁ、いいけど」
それは瞳も同じで、降りてきて早々、直美を止めに掛かる。しかし、彼方の姿を認めると、承諾してしまった。
「決まりだな。千里、その娘はお前が教えてやれよ」
「な、何でボクが!? ‥‥彼方ならボクが教えてあげるのに‥‥」
桂が言い出たのに、役目を自分に転嫁され、千里は納得がいかないといった様子だ。後半の反論は口の中で呟いただけなので、誰にも聞こえなかったが。
その間にも、桂が自分達を紹介し、直美も瞳達を紹介してゆく。
冬休みを利用して旅行へ行く計画を立てた際、桂がスキーを推したのでそこに決まったが、薄々勘付いてはいたが、スキーを滑れない自分達はナンパのダシに使われたようだ。
「えーと、卜部さん? よろしくね」
「あ、ああ、よろしく」
「私もこの間までは初心者だったから、身体で覚えれば自然に滑れるようになるわ」
彼方と瞳は挨拶を交わす。間近で見ると、瞳は清楚で可愛い女の子だ。こういう娘に教わるのも悪くはないかな、と彼方は思い始めていた。
「よろしくお願いしますぅ」
「こちらこそよろしくね」
一方、麗子と千里も挨拶し合う。しかし、千里は先程からちらちらと彼方と瞳の方を窺っている。気になって仕方がないようだ。
「俺達は滑りに行くか?」
「あら、わたくしについて来られまして?」
「試してみるかい?」
残った桂と直美は不敵な笑みを浮かべ合うと、上級者コースのリフトへ向かった。 「そうそうその調子よ、卜部君、筋が良いわ」
「先生の教え方が上手いからだよ。桂の奴、男に教える時は本当、手抜きなんだ」
「ははは、直美ちゃんと同じね。直美ちゃんも麗子ちゃんに教える時、すっごくぞんさいなの!」
1時間程みっちり基礎を教わると、彼方もボーゲンからシュテムターンまで出来るようになった。
初心者用の緩やかな練習コースを一緒に滑りながら、会話も弾む。気が付けば、瞳は彼方の事を「さん」と他人行儀から、「君」へ少し親しみを込めて呼ぶようになっていた。
「宿の手配なんかは千里、あの笠原さんに教えてる女の子がしてくれてね。今日はスキー場の近くにある寺湯温泉に泊まるんだ」
「寺湯温泉!? 奇遇ね、私達も今日はそこに泊まるのよ。この旅行を計画してくれたのは直美ちゃんで、寺湯温泉を予約したのも直美ちゃんなの」
泊まる場所も同じ『寺湯温泉』だという。
「あ、直美ちゃん達が帰ってきたみたい。行こう、卜部君」
「ああ」
今日のおさらいとばかりに、彼方と瞳は並んで滑走していった。
「ダメだな、あの女。美人なのは認めるが、性格がよくない」
「人の事言えるかよ」
「そういう彼方はどうなんだ?」
「ボーゲンなら滑れるようになったぞ」
「ち、そっちは良い感じかよ」
直美と一緒にしばらく上級者コースを滑ってきた桂は、期待外れとばかりに舌打ちした。彼方が瞳から聞いた限り、直美の性格は桂に似ている。似た者同士はソリが合わないようだ。
「‥‥」
二人の話を聞きながら、何故か千里は頬を膨らませていた。
「直美様ぁ、千里さんのお陰で、私もボーゲンとターンが出来るようになりました〜」
「それはよかったですわね。瞳はどうでしたの?」
「うん、楽しかったわ。卜部君達も寺湯温泉に泊まるんですって」
直美に嬉しそうに練習の成果を話す麗子。直美は半ば聞き流しながら瞳に話を振ると、彼女も楽しそうに彼方との練習の事を話した。どうやら貧乏籤を引いたのは自分だけのようだ。
宿泊先が同じなので、それぞれセンターハウスで着替えて入口で待ち合わせる事にした。
「大漁大漁」
一足先に着替えを終えた彼方が売店をぶらついていると、浩之の声が聞こえた。彼は両手にプライス品が詰まったビニール袋を持っていた。彼方達がスキーをしている間、ずっとゲームをしていたようだ。
「やっぱ、この手のゲーセンは穴場だよ」
「お前にとっては穴場かもな」
浩之は俗に言うヲタクだ。桂が自分同様ナンパのダシとして誘った手前もあるので、彼が楽しんでいるのなら彼方も一安心だ。
「卜部君、その人は?」
「メ、メイドさん!?」
「きゃぁ!?」
着替えを済ませた瞳達がやってくると、麗子の姿を見た浩之は西部劇に登場する早撃ちのガンマンよろしく、懐から愛用のデジカメを取り出して彼女を激写し始める。
麗子は赤を基調としたパフスリーブのメイド服にサロンエプロンを付けた出で立ちだったからだ。
「私、直美様の身の回りのお世話をしているのです〜」
「笹本さんってやっぱりお嬢様だったのか‥‥だからってメイド服はないと思うが‥‥」
「まぁ、本人が好きで着ているから」
しばらく浩之の撮影会が続いた後、直美と桂、千里がやってきたので、全員揃って寺湯温泉へ向かった。
●寺湯温泉
寺湯温泉は寺湯スキー場に近くに位置する、美人若女将が自慢の、混浴の露天風呂がある秘湯の宿だ。
積もった雪の中に半ば埋もれたこぢんまりとした建物は、鄙びた風情を醸し出している。
「笹本様、門倉様、ようこそおいで下さいました。私が当旅館の女将、寺湯根子と申します」
玄関へ入ると、和服姿の寺湯・根子が折り目正しく一行を出迎えた。根子は赤いフレームの眼鏡を掛け、艶やかな黒髪をアップにして椿の簪を挿した、理知的な和服美人だ。
瞳と麗子は感嘆の溜息を漏らし、桂は口笛を吹いた。浩之に至っては激写モードだ。彼方ですら思わずクールビューティーに見とれてしまう。
千里は一人「お世話になります」と普通に挨拶し、直美は自分より美しい女性は快く思わないのか、不機嫌そうに明後日の方を向いていた。
「では、お部屋の方へご案内いたします。露天風呂のご用意も出来ておりますので、スキーで冷えた身体を温められるとよろしいでしょう」
根子はそう言うと、一行の先頭に立って部屋へ案内する。
彼方と桂、浩之は三人で一部屋だ。千里は女性なので、一人で一部屋が充てられている。
瞳も一部屋で、直美と麗子が同室になっている。
「よかったら遊びに来てね」
「ああ」
すっかり打ち解けた瞳は、彼方にそう告げながら部屋へ入っていった。
男性の部屋は畳敷きの純和風の造りだ。
「女将さんにも勧められたから、ひとっ風呂浴びてこようか?」
「悪いな、俺はパスだ」
「俺もパ〜ス」
「二人とも友達甲斐がないな」
荷物を一通り整理した彼方はお風呂セットを用意するが、桂は鏡に向かってスタイルを整えており、浩之はゲットしたプライス品の整理に余念がない。付き合いの悪い二人を置いて、彼方は露天風呂へ向かった。
岩で囲った湯船に源泉掛け流しという露天風呂は、雪景色のただ中にあった。
「ふぅ。やっぱスキーは足に来るよな。でも、室住さんのお陰で少しは滑れるようになったし、桂に付き合うのも悪くはないよな‥‥」
湯船の縁の岩に背中を預けながら、人心地付く彼方。
桂や浩之とは大学に入ってから知り合い、何かと振り回される事が多いが、二人とも自分の事も考えてくれているので憎めない、そんな付き合いが続いている。
『この宿には気を付けて‥‥』
思わず瞳の姿を思い浮かべてしまう。すると、どこからともなく、珠を転がしたような澄んだ声が聞こえてきた。
見ればいつの間にか風は雪を含んで軽く吹雪いている。
「!? ‥‥女の子、なのか‥‥?」
吹雪の中に佇む人影を見付けた。目を凝らして見ると、それは新雪のように真っ白な着物を纏い、黒曜石を溶かしたような煌びやかな黒髪に牡丹の簪を挿した少女だった。
先程の声は彼女のものだろうか?
「この宿に気を付けてってどういう‥‥」
「その声は卜部君!?」
「え!? 室住‥‥さん‥‥」
彼方が聞くと、少女は憂いを帯びた瞳で彼を見、口を開こうとしたが、脱衣所から瞳の声が聞こえてくる。
湯煙の中、バスタオルを身体の前に充てただけの、一糸纏わぬ瞳の姿があった。
「そ、そういえば、ここの露天風呂は混浴が売りだったな‥‥」
「そ、そうね‥‥私も女将さんに勧められて入りに来たんだけど‥‥」
彼方が慌てて湯船に飛び込むと、瞳は少し距離を置いて湯船へ入る。
混浴なのだから堂々としていればいいのだが、なまじ仲良くなった娘だけに、正面から見るのは何か恥ずかしい。
(「室住さんってスタイルいいんだな‥‥肌も白いし‥‥」)
とはいえ、そこは年頃の男の子。背中合わせに入りながらも、ちらちらと瞳の方を窺ってしまう。それは彼女も同じようで、視線が合ってしまった。
「さ、さっきの女の子だけど、この旅館の娘かな?」
「女の子?」
「ああ、室住さんが入ってくる少し前にそこにいたんだけど」
「ううん、私、そんな娘、見てないわよ?」
「確かにそこにいたんだけど‥‥白い着物を着ていたから、女将さんの妹さんかなと思ったんだ」
「案外、“雪女”だったりして」
彼方は話題を変えようと、先程の少女が立っていた場所を指差すが、瞳は見ていないと言う。
既に吹雪は止んでおり、彼女は彼方から少女の容姿を聞くと、そう茶化した。
「‥‥」
脱衣所では服を脱ぎ掛けていた千里が、ドア越しに聞こえてくる二人の会話に唇をきつく噛み締めると、再び服を着始めた。
夕食は桂と直美が申し出て、広間で皆で一緒に食べる事になった。
「ささ〜、ぐいっとやっちゃって下さい〜」
「悪ぃな。地酒か、なかなか美味いな」
「お冷やでも美味しいそうですぅ」
「それは和風メイドかい?」
麗子は徳利を片手に、男性陣にお酌して回る。桂がお猪口を煽ると、彼女はお酌しながら、先程根子から聞いた地酒について話す。
今の麗子はお風呂上がりの瞳と違い、自前の着物の上にサロンエプロンを付けた“和風メイド風”の出で立ちだ。浩之のデジカメは先程からシャッターを切りっぱなしだ。
「田舎の山菜料理は味気ないものと思っていましたが、なかなかヘルシーですわよね」
「こういうところじゃないと食べられない味だよね」
直美は最初、お膳に並べられた山菜がメインの料理を見て露骨にげんなりしていたが、食べてみるとこれが美味しく、昼間スキーで身体を動かした事もあり、箸が進んだ。しかも、山菜がメインだから少しばかり食べ過ぎても太る心配は少ない。千里に勧められたお鉢の料理も突っついてみる。
「女将さん、さっき、露天風呂で白い着物を着た女の子を見掛けたんだけど、女将さんの妹さんかな?」
「‥‥いえ、そのような女の子は知りませんが‥‥」
彼方は露天風呂で会った女の子の事を根子に聞くと、彼女は一瞬眉を顰めながらも知らないと応えた。
「少しのぼせてしまわれたのではないでしょうか? ただ、この辺りには“雪女”の昔話が多く残っていますから、もしかしたら雪女にお会いになられたのかも知れませんね」
「雪女‥‥」
「卜部君、お鍋のお変わりは如何?」
瞳に鍋のお変わりをよそってもらいながら、根子の余興代わりの、この寺湯温泉一帯に伝わる『雪女の伝説』を聞いた。
大抵の雪女の伝説は、悲しい結末で終わる。寺湯温泉一帯に伝わる雪女の伝説も、人間と雪女が恋に落ちるが、多分漏れず、結末は悲恋で終わっていた。
その雪女を慰めるように、寺湯温泉の露天風呂は男女を分けず、混浴になっているのだという。
「混浴はそういう売りでしたの。でも、せっかくの源泉掛け流しを混浴だけに留めるのは勿体ないですわよね」
直美が意味ありげな感想を漏らした。
根子の話した雪女の伝説が気になったのか、興味本位も手伝って、食後は全員で露天風呂に入る事になった。
「直美さん、さっき言ってた混浴に留めるのは勿体ないって、どういう事?」
「父がリゾート開発の為に、この寺湯温泉一帯を近々買収する予定なのですわ。これだけの秘湯、もったいないと思いません? スキー場と温泉の複合施設として大々的に再開発するのですわ」
「それで、その下見に私達の誘ったのね」
先程の直美の言葉が気になったのか、千里が尋ねた。その応えを聞いて、瞳は今回のスキー旅行の目的を知り、納得がいったようだ。
「直美は良い身体してんだけどな」
桂は縁の岩に寄り掛かり、堂々と女性陣の方を向いて入っている。アウトドアもこなすだけあって、体付きに自信があった。浩之はチャンス到来とばかりに見ているが、彼方は一人、先程の少女が立っていた場所を見つめていた。
「雪女が悲しまない為に、露天風呂は混浴にしている、か‥‥」
普段なら、よくあるオカルト好きな女性を喜ばせる為の作り話だと割り切れるだろうが、実際に雪女らしき少女の姿を見た後、根子の話を聞いたからか、気になって仕方がない。
蒙昧を振り払うように湯の中に沈んだ後、彼方は先に上がった。
「う、卜部、君‥‥」
脱衣所で浴衣に着替えると、丁度瞳も出てきて声を掛けてきた。
「よ、よかったら、私の部屋に遊びに来ない? ほ、ほら、私、一人部屋だし、女将さんの話を聞いた後はちょっと、ね」
「室住さんも恐がりだなぁ」
彼方が脱衣所を出ようとすると、瞳が浴衣の袖を軽く引っ張ってきた。
雪女の伝説は恐い怪談ではなかったが、瞳は恐がりのようだ。彼方は彼女が着替え終わるのを待って、一緒に部屋へ行った。
そして一夜を共にするのだった。
●雪女は見た!!
「ん‥‥瞳さん‥‥?」
何やら外が騒がしく、彼方は目を覚ました。
横で寝ているはずの瞳の姿はなく、彼女が占めていた部分のシーツに手をやるとひんやりと冷え切っている。
「彼方! 彼方いるか!!」
「桂?」
桂が激しく部屋のドアを叩く。何事かと開けると、桂の隣に見知らぬ男性が立っていた。室内だというのに中割れ帽子を被り、よれよれのトレンチコートを羽織っている。下に着たシャツもアイロンは掛かっておらず、ネクタイは中途半端に結ばれていた。
「片桐警部だ。室住瞳死亡の件について、君から事情聴取したいのだが?」
「室住瞳死亡‥‥? !? 瞳さんが死んだのか!?」
「ああ、今朝、湯船で凍死体で発見されたんだ」
片桐警部は警察手帳を見せながら地元の刑事である事を説明し、事情聴取したい旨を切り出す。瞳が死亡したという事に驚きを隠せない彼方。桂が事のあらましを掻い摘んで話した。
彼方は片桐警部の部下だという黒澤刑事に付き添われて、一度、自分の部屋へ戻ると、普段着に着替えてロビーへ向かった。
そこには桂と浩之、千里と麗子、根子がいるだけだった。
「笹本さんは?」
「それがぁ、直美様は今朝起きてから姿がどこにも見えないんですぅ。それで直美様を探していたらぁ、瞳さんが湯船に浮いているのを見付けて‥‥」
直美の姿がない事に気付いた彼方が麗子に聞くと、彼女は半泣きになりながら応えた。瞳の死体の第一発見者は彼女のようだ。
「さて、集まってもらったところで、昨晩から今朝に掛けてのアリバイを聞きたいのだが」
「俺と浩之は風呂から出た後、直美と麗子の部屋で呑み直して、それから部屋に帰って寝たぜ」
「そうだな」
桂が説明すると、一緒に呑んでいた浩之と麗子、千里が頷いた。
「ボクも飲み会がお開きになった後は、自分の部屋に帰って寝たけど‥‥」
「確か君は一人部屋だったな?」
「うん‥‥」
千里にもアリバイはある事はあるが、それを立証してくれる他人がいなかった。
「私と直美様はぁ、飲み会がお開きになった後、そのまま寝てしまいましたぁ」
「私は笹本様のお部屋へお酒を届けた後、経理をやってから寝ましたが」
麗子も根子もアリバイはあるが、やはり立証する他人がいない。
「とすると、だ。最後まで室住瞳と一緒にいたのは、卜部彼方、君だけになる」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 確かに俺は瞳さんと一緒に寝たけど‥‥今朝起きたら彼女はいなかったし、彼女が死んだ事を知ったのも桂から聞いてからだ。それに、さっき布団を触ったら冷たかった。瞳さんは大分前に布団から出たんじゃないのか?」
「ほぉ」
皆のアリバイを統括すると、瞳と最後まで一緒にいたのは彼方という事になる。しかし、彼方も瞳の死を知ったのはつい先程だ。彼方の冷静な状況分析に、片桐警部はニヤリと笑う。日頃から探偵小説を愛読しているのは伊達ではない。培ってきた知識が活かされていた。
「それに凍死体って‥‥」
「詳しい死因は死亡解剖中だが、全裸で凍り付いていたそうだ」
「全裸で凍り付いて‥‥それって雪女の仕業では?」
「雪女ぁ? おいおい、こんな状況で冗談を言う余裕があるとはな」
「いえ、寺湯温泉では雪女の伝説は有名です」
瞳の死亡時の状況を聞いて、彼方は咄嗟に雪女の事を思い出していた。片桐警部は素っ頓狂な話に肩を竦めるが、根子が彼を後押しした。
「どちらにせよ、全員にはしばらくこの宿に留まってもらうのでそのつもりで」
「片桐警部! 行方不明の笹本直美が発見されました!」
片桐警部が全員にこの宿から出ないよう告げると、黒澤刑事が駆け込んでくる。
「直美様が!? ど、どこでですぅ!?」
「露天風呂近くの雪の中に埋もれていました。こちらも凍死体です」
「また凍死体だと!?」
「やはり雪女が‥‥」
「莫迦な!」
「でも、片桐警部、ここいら一帯で雪女の伝説は有名ですよ。本当に雪女の仕業かも‥‥」
「莫迦野郎! Tシャツ、警察が雪女信じてどうするんだ!!」
「す、すみません!」
麗子に詰め寄られた黒澤刑事は、死体発見場所と状況を告げる。瞳同様、凍死体で発見された事に片桐警部が唸ると、根子は憂いを帯びた表情を浮かべて呟いた。
片桐警部も黒澤刑事も地元出身なので、寺湯温泉に伝わる雪女の伝説は知っている。だが、刑事として雪女の仕業で済ませる訳にはいかない。
それは彼方も同じだ。半端な気持ちで瞳と一夜を共にした訳ではないし、凍死体で発見されてはいるが、死亡解剖して死因が分かれば、アリバイが無い以上、自分が疑われる可能性は高いだろう。
ちなみに、黒澤刑事はスキー場近くの温泉宿だというのに、Tシャツ一枚にジーンズ履きというスタイルから、『Tシャツ』のニックネームで呼ばれている。
(「俺が瞳さんと笹本さんを殺した犯人を突き止めてやる!」)
彼方は瞳の為にも一人、決意するのだった。
先ず、瞳の部屋へ向かうと、昨日の事を思い返した。他愛のないお喋りに花を咲かせ、会話が途切れると、見つめ合ったままどちらからともなく唇を重ね合わせ、そのまま一緒に布団へ入った。
露天風呂から出たのが午後9時過ぎだったから、おそらく日付は変わっていないはずだ。
「布団に瞳さんの温もりはなかったから、布団を出てからかなり時間が経っている事になるよな」
瞳はどこへ行ったのだろうか?
次に、遺体が発見された露天風呂へと向かう。昨日の夜は吹雪いていたようで、仮に争った跡があったとしても消されてしまっているだろう。
「この場所は‥‥あの女の子が立っていた場所だ!」
直美の遺体が発見されたのは、彼方が昨日、露天風呂に入っている時に見掛けた、白い着物を着た少女が立っていた場所だった。これは偶然の一致なのだろうか?
『この宿には気を付けて‥‥』
「君は!? ちょっと待ってくれ!!」
再び、あの珠を転がしたような澄んだ声が聞こえる。露天風呂の奥の方に白い着物を着た少女の姿があった。
「君はこの件について何か知っているんじゃないか!?」
『‥‥雪女をこれ以上辱めないで』
「え!? 雪女って‥‥君は寺湯温泉に伝わる雪女なのかい!?」
『‥‥』
初めて少女か彼方の言葉に応えた。だが、続く質問には応えず、姿を消してしまう。
「足跡? あの娘は雪女じゃないのか?」
少女がいた場所には下駄らしき足跡が残されていた。忽然と姿を消した訳ではないようだ。これを辿っていけば少女の正体が分かるかも知れないが、距離を取っているところを見ると、少女は自分に触れて欲しくないのかも知れない。
彼方は追うのは止め、悪友達の待つ部屋へ戻った。
「やれやれ、厄介な事に巻き込まれたぜ。黒澤とかいう刑事が玄関にいるからスキーにも行けねぇしな」
「お前‥‥余裕だな。羨ましいよ」
「別に何もやましい事はしてねぇからな。一人だけ美味しい思いをした罰だと思え」
「ちぇ、好き勝手言ってくれるよな。ナンパのダシにしたくせに」
「はっはっは、でも、俺はお前が直美達を殺したとは思わないぜ」
「悪いな」
部屋には桂しかおらず、彼はテレビを観ていた。
悪友とはいえ、自分の無実を信じてくれる者がいる。持つべき者は友だ。
「浩之はどうしたんだ?」
「さっきカメラを持って出ていったから、どうせ麗子でも撮ってんだろ?」
「そういえば、みんなで露天風呂に入った時も、カメラを持ってたよな」
こういう時でも趣味に走れる浩之を羨ましいと思う。
彼方は部屋を出ると、その足で千里の部屋へ向かうが、彼女は留守にしていた。
千里から話を聞こうと旅館内をぶらついていると、意外なツーショットを見付けた。千里と根子だった。
「あ、彼方クン!? ‥‥大変な事になっちゃったね」
千里も彼方に気付くと、慌てて根子から離れ、近寄ってくる。考えてみれば今日、彼女と話をするのはこれが初めてだ。
「根子さんと、何かあったのか?」
「ん? ううん、たまたま会ったから雪女の話をしていただけだよ」
先程の慌て振りは、彼方が急に現れて驚いたからだろうか?
しかし、また雪女の名前が上るとは、根子は雪女に固執している節があるようだ。
「千里も一人部屋だったよな。昨日、変わった事はなかったか?」
「うーん、昨日は吹雪が凄かったみたいだからね。夜中に別の部屋から誰かが出ても分からないんじゃないかな?」
吹雪いていたのは彼方も知っているし、確かに物音等は聞き取りづらいだろう。
しかも、千里も一人部屋だ。疑われている事を考慮すると、あまり深くは追求できなかった。
「やぁ、卜部君。よかったら温泉たまご、食べるかい?」
「戴きます」
千里の部屋を出て玄関まで来ると、桂が言ったように黒澤刑事がおり、にこやかに話し掛けてくる。寺湯温泉に来るまでに買ったという温泉たまごを戴く事にした。
「黒澤刑事は今回の件、どう思います?」
「え? 雪女の仕業じゃないの?」
「‥‥そこから離れて下さい」
自分を疑っている刑事にこんな事を聞くのも何だが、黒澤刑事はどことなく憎めない雰囲気にあった。聞けばまだ刑事に成り立てで、今回の事件が初めての担当だとか。
「これは片桐警部には秘密だけど、君は仮にも室住瞳と一夜を共にしているんだ、疑われても仕方ないけど、殺す理由は乏しいよね。いきなり情緒のもつれとか、若気の至りとかはないだろうし」
「殺す理由?」
「死亡解剖の結果が出たんだけど、死因は窒息死だってさ。その後、雪の中に埋められて凍死体に見せたんだ」
「窒息死‥‥絞首ですか?」
「首を絞めると死体にはその痕が残るんだけど、犯人は雪の中に埋める事でその痕を浮かび上がらせないようにしたかったんだと思うよ。鑑識でもかなり際どかったって言っていたし」
「でも、瞳さんも笹本さんも殺される理由が分からないですよ」
「人はいつどこで怨みを買っているか分からないからね」
「Tシャツ! お前こんなところで油売ってるんじゃない!!」
「は、はい! それじゃ俺はこれで。その温泉たまご、みんなで分けて食べていいから」
黒澤刑事は最初から彼方の事を疑っていなかったようで、死亡解剖の結果を教えてくれた。
その後、片桐警部に怒られて、温泉たまごの袋を置いて駆けていった。
「怨み、か‥‥」
瞳や直美は、他人から恨みを買う事などあっただろうか?
「笠原さんが‥‥いや、彼女は笹本さんの事を慕っていたからその線は薄いよな」
そう考えると、真っ先に思い浮かぶのは、女性陣で唯一生き残った麗子だが、彼女は直美に邪険に扱われながらも慕っていたし、殺す動機は見当たらない。
「桂は‥‥アリバイがあるよな」
昨日今日出会ったばかりの彼方達が殺したとは考えにくいが、桂は直美の事を好いてはいなかった。しかし、桂と浩之にはアリバイがあるので殺す事は難しい。
「残るは千里と根子さんだけど‥‥」
千里、根子共に当時は部屋にいたというが、アリバイは立証されていない。
『父がリゾート開発の為に、この寺湯温泉一帯を近々買収する予定なのですわ。これだけの秘湯、もったいないと思いません? スキー場と温泉の複合施設として大々的に再開発するのですわ』
不意に直美が露天風呂で話していた事を思い出した。
「真逆とは思うが‥‥」
直美が死に、それを雪女の祟りの所為にすれば、この寺湯温泉一帯の再開発は或いは白紙に戻るかも知れない。
「寺湯さん‥‥」
彼方は根子の部屋を訪れた。彼女は不在で、部屋は静まり返っていた。
箪笥や卓袱台が置かれた純和風の造りで、些か色気には欠けるものの、根子の雰囲気に合っているように思えた。
「これは‥‥寺湯さんと、千里!? どうして二人が!? ぐ‥‥!?」
「レディの部屋に無断で入るのは、あまり感心しませんね」
箪笥の上に置かれた写真立てを見付けると、そこに写っていた意外な人物に彼方は驚く。
すると、背後から根子の冷たく鋭い声が聞こえ、彼方は首を絞められていた。相手が背後なので反撃できないし、外せば余計首が絞まる。
「‥‥笹本さんを‥‥殺したのは‥‥やっぱり‥‥」
「そう、私です。この辺りの再開発などさせません」
「‥‥じゃぁ‥‥何故‥‥瞳まで‥‥」
「あなたと同じように、目撃されてしまったから仕方なく、です」
「‥‥く‥‥(真相が分かっても、俺は瞳のところへ行くのか‥‥)」
彼方の意識が遠退いてゆく。
「そこまでだぜ!」
「直美様の仇ですぅ」
桂と麗子が躍り込んでくる。桂は根子を突き飛ばし、麗子が彼方を抱き留める。
「止めて! お姉ちゃんをこれ以上責めないで!!」
桂と根子の間に、千里が身体を大の字にして割って入った。寸前で拳を止める桂。
「‥‥ゴホゴホ! ‥‥お姉ちゃんって‥‥寺湯さんと千里は‥‥」
「そうだよ、ボクと根子お姉ちゃんは姉妹だよ。幼い頃、両親が離婚して、根子お姉ちゃんは一人で寺湯温泉を切り盛りしていたんだ。なのに笹本はこの辺り一帯をリゾート開発するって‥‥根子お姉ちゃんが一所懸命守ってきた秘湯を、お金で踏みにじったんだよ!!」
やはり、直美を殺したのはリゾート開発を止めさせる為だった。
「‥‥でも、瞳まで殺す事はなかったんじゃないか?」
「‥‥ボクだって‥‥」
「え!?」
「‥‥ボクだって女の子なんだよ! ずっとずっと彼方の事を見ていたのに、彼方も桂も浩之もボクの事を女の子として見てくれないし! 横からしゃしゃり出てきた瞳ちゃんこそ泥棒猫じゃないか!!」
「‥‥千里‥‥」
「いいえ違いますわ。直美と瞳を殺めたのはこのわたくしですわ」
「‥‥事情は聞かせてもらった。後は署の方でゆっくりと聞かせてもらおうか」
彼方は千里に詰め寄るが、逆に彼女の怒気に気圧されてしまう。千里は女性として見られておらず、気軽に付き合う反面、彼方への切ない想いを募られていたのだ。
それでも尚、自分が瞳と直美を殺したと主張する根子。
そこへ片桐警部と黒澤刑事が踏み込んでくる。根子は観念したかのようにその場に崩れ落ち、妹がそっと支えた。
その後、姿が見当たらなかった浩之の遺体が根子の部屋から発見された。
彼はトイレに起きた際、偶然、根子が直美を呼び出し、殺害した現場を目撃していた。
その場面をデジカメに収め、それを元に根子にお金を求めたようだ。大方、コミケの資金にするつもりだったのだろう。
真相を探り当てる度に、自分が何か拭いがたい罪を犯した気分になるという。
彼方は今、そんな気分だった。
『‥‥ありがとう、寺湯温泉を守ってくれて』
彼方の前にあの少女が現れた。
根子と千里は誤った方向へ進んでしまったとはいえ、寺湯温泉を守りたかった事には変わりない。また、彼女達の証言から、笹本の再開発は不正と見なされ、寺湯温泉の再開発は白紙に戻るのも時間の問題だろう。
「君は、雪女なのかい?」
『‥‥あなたは人間と雪女、どちらがいい?』
「そうだなぁ、寺湯温泉だから、やっぱり雪女かな」
『‥‥じゃぁ、雪女で』
少女はくすくすと笑いながら、彼方とそんな他愛ないやり取りをする。少女が心から笑っているのが分かった。少女が雪女だろうと人間だろうと、それは些細な事だと今は思う。この笑顔を取り戻せたのだから、自分のやった事は満更悪い事ではないはずだ。
「そういえば、名前、聞いてなかったよね?」
『‥‥雪華』
「雪華、か。来年も来るから」
『‥‥うん。待ってる、私も寺湯温泉も変わらずに』
雪華は彼方に牡丹の花を一輪、渡して去っていった。
「彼方、何やってんだ!」
「彼方さぁん、置いてっちゃいますよぉ〜」
「さて、俺も行くか!」
桂と麗子の呼ぶ声が聞こえてくる。意外かもしれないが、今回の件で桂と麗子が付き合う事になった。一緒に踏み込んだ事で意気投合したとか。もっとも、麗子からすればご主人様が直美から桂に替わっただけだろう。
「ああ、今行く! 来年も来るからー!!」
彼方は牡丹の花をしっかりと握ると、雪華の消えた方へもう一度言ってから、桂達の元へ走っていった。
<プロデューサー:菊池五郎> |